落合陣屋(おちあい)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 安達盛長か
 遺構  : なし
 交通  : JR埼京線与野本町駅徒歩5分


       <沿革>
           安達盛長の館と伝わる。盛長は、源頼朝に仕えて活躍し、頼朝死後の十三人の合議制の1人と
          なった。盛長の平素の屋敷は鎌倉大仏近くの甘縄神社にあり、与野周辺に所領があったか否かは
          不明である。
           また、室町時代には渋川義行とその曾孫義鏡の家臣が居住したと伝わる。渋川氏は、室町時代
          初めごろから蕨を領しており、 長禄元年(1457)に将軍足利義政の命により足利政知が関東へ
          下向し堀越公方となると、義鏡は関東執事(関東管領/関東探題)に任じられた。義鏡は、蕨城
          入り政知を支えて古河公方討伐の任にあたった。
           天正十八年(1590)の小田原の役で北条氏が滅ぶと、渋川氏も蕨を去ったとされる。落合陣屋
          の廃城時期は不明である。

       <手記>
           落合陣屋は、鴻沼川沿いに舌状に延びる緩やかな丘陵の先端にあります。とくに西側と南側の
          段差が顕著です。東側には鴻沼排水が走っていますが、落合という地名から察するに、かつては
          東にも川が流れていて、陣屋の南で合流していたのかもしれません。
           陣屋跡一帯は、現在東光寺となっています。『中世城館調査報告書集成』には、土塁や空堀が
          残っているとありますが、現在では周辺一帯は開発され、遺構はありません。
           安達盛長の館があったかどうかは不明ですが、盛長の甥は足立遠元とされています。遠元は、
          足立郡を本拠としており、陣屋一帯も足立郡に含まれます。盛長も、もともとは足立氏を名乗って
          いました。したがって、盛長かどうかはともかくとして、足立氏一族が居住していた可能性は十分
          にあると思われます。
           また、蕨を本拠とした渋川氏の家臣が住んでいたとする伝承も、ありうる話です。ただし、中世の
          城館とするならば、陣屋と称するのは少々不自然です。家康の関東入国後、あるいは江戸時代に
          役所が置かれた可能性もあると推測されます。

           
 落合陣屋跡に建つ東光寺。
東面のようす。 


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