品川台場(しながわ)
 別称  : (御)台場、品海砲台
 分類  : 砲台
 築城者: 江戸幕府
 遺構  : 石垣、土塁、建物跡
 交通  : 新交通ゆりかもめお台場海浜公園駅徒歩10分


       <沿革>
           嘉永六年(1853)、ペリー艦隊が来航し開国を迫ると、江戸の海防に危機感を抱いた幕府は、
          品川沖の海上に洋式砲台の建設を計画した。責任者には、高島秋帆に学んだ韮山代官江川
          英龍が抜擢され、同年七月に着工した。埋め立てには、付近の御殿山や八ツ山から用土が
          調達された。翌七年(1854)一月にペリーが再び来航するまでには、一部の台場は完成して
          いたとされる。
           当初、品川沖には11基の台場が建設される予定であった。だが、同年三月に日米和親条約
          が締結されると緊急性が薄れ、建設途中だったものは工事が中止され、未着工のものは着手
          されなかった。その結果、未完成の第七台場を除く6つの台場が築かれた(第四台場ははじめ
          海上に予定されたが途中で放棄され、代わりに御殿山麓に陸上台場として建設された)。
           結局、品川台場は一度も戦火を経験することなく明治維新を迎え、陸軍省の管轄となった。
          大正十五年(1926)第三・第六台場が国史跡に指定され、昭和三年(1928)に史跡公園として
          整備された。その他の台場(跡)は、周辺の埋め立てや撤去により漸次消滅した。

       <手記>
           お台場といえば、今やデートや遊びのスポットとして知られていますが、そんな一画に幕末の
          砲台跡が残っているというのは、なんとも奇跡的なように思えます。もし事前に国史跡に指定
          されていなかったら、レインボーブリッジ建設の際に取り壊されていたんじゃないでしょうか。
           そんな台場へは、若者でにぎわう海浜公園の砂浜を抜けた先にあります。台場へ渡る桟橋
          の松林まで来ると、すれ違う人々の平均年齢がぐっと上がります(笑)。地図を見て分かる通り、
          現在立ち入りできるのは第三台場のみです。周囲は石垣と高土塁で囲まれた方形の空間で、
          中央の凹部には陣屋跡の礎石や砲弾庫跡、かまど跡などがあります。土塁上には砲台が
          数基残って(?)います。
           お台場を観光で訪れた人には、「レインボーブリッジを撮るのにジャマ!」とさえいわれかね
          ないですが、幕末の貴重な遺構ですので、今後もしっかり保存していっていただきたいと思い
          ます。

           
 海浜公園の砂浜から両台場とレインボーブリッジを望む。
第三台場内部のようす。 
中央右の礎石群は陣屋跡。 
 かまど跡。
砲台跡。 
 第三台場から第六台場を望む。


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