板橋城(いたばし)
 別称  : 富士山陣場、細川忠興陣
 分類  : 山城
 築城者: 後北条氏か
 遺構  : 曲輪、土塁、石積み、堀、虎口
 交通  : 箱根登山鉄道風祭駅徒歩15分


       <沿革>
           小田原城の支砦であるが、いつごろ誰によって築かれたかは定かでない。天正十八年
          (1590)の小田原の役に際し、豊臣勢の細川忠興が攻め取り、自軍の陣所とした。同年
          中に小田原城が落城すると、板橋城もそのまま廃城となったものと推測される。


       <手記>
           板橋城は、小田原城のある丘陵とは峰続きの、早川沿いに突き出た小丘上に築かれて
          います。電車で直接行く場合は、東の箱根板橋駅よりも西麓の風祭駅の方が最寄りです。
          いずれも登城口は南西隅の虎口で、風祭駅側からはその少し下方にある鉄塔を目指して
          行けば大丈夫です。
           板橋城は、山頂の主郭から南西隅の虎口まで、雛壇状に4つの曲輪が並んでいます。
          途中、土塁基壇に2ヶ所ほど石積みの跡が見られました。雛壇状遺構とは反対側の主郭
          東側下には浅間神社があり、こちらも曲輪跡を思われます。その下には畑地があり、その
          先は住宅街となっています。こちらの東側尾根先がとても緩やかで最大の弱点と思われ、
          おそらくそれなりの造作があったものと推測されますが、今では確かめようがありません。
           主郭および浅間神社の北側には、東西方向に大きな横堀が穿たれています。城全体は
          南西方向に伸びていて、小田原城防衛を目的とする北条氏の縄張りと考えられますが、
          この堀については、あるいは細川氏が新たに設けたものと見ることもできるでしょう。
           板橋城からは、小田原城最西端の御鐘之台が指呼の間で、私も尾根伝いに御鐘之台
          へと歩いたのですが、途中の道路は細く曲がって歩道もないうえに交通量がそこそこある
          ので、通行の際は十分ご注意ください。

           
 石垣山中腹から板橋城址を望む。
南西隅の虎口。 
 W曲輪からV曲輪土塁を望む。
土塁基壇の石積み跡。 
 V曲輪のようす。
U曲輪の土塁。 
 U曲輪のようす。
主郭の土塁と虎口。 
 主郭の土塁。
主郭内のようす。 
 浅間神社の曲輪。
主郭・浅間神社北側の横堀。 
 御鐘之台方面を望む。


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