大井追花城(おおいおっけ) | |
別称 : なし | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 不明 | |
遺構 : 土塁、堀跡か | |
交通 : JR常磐線柏駅よりバス 「中井」バス停下車徒歩5分 |
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<沿革> 一般に小金城主高城氏の支城と考えられている。付近に妙見社があるとされること から、妙見菩薩を守護神とする千葉氏族によって築かれた可能性が高いと思われる。 慶長十一年(1606)の中山法華経寺の『護代帳』には、追花城に隣接する妙照寺の 外護者として「酒巻勘解由」なる武士階級出身者と思われる名乗りの人物が記されて いる。同書には酒巻氏のほか坂巻氏や石原氏といった姓が散見される。追花城主との 関連も考えられるが、詳細は不明である。なお、妙照寺のある尾根の先端には出丸が 設けられていたと伝わる。 <手記> 大井追花城は、大津川河岸の台地隅に位置し、東麓には支脈による沢谷戸が形成 されています。とくに説明や碑などもなく、周辺は宅地や畑地となっているため、往時 の様相をうかがうのは困難です。 台地上を抜ける生活道路の脇に、土塁状の高い土盛りがあります。造成に必要な ものとは思えず、貴重な遺構の一部であると思うのですが、断言はできません。この 土盛りの向かいには立派な旧家があり、その脇に沢谷戸へと下りる獣道があります。 道を下りきると対面に妙照寺表門があり、この獣道がかつての登城路であった可能性 が高いように思われます。もっとも旧態が残っていると思われる台地先端へは、民家 や畑を抜けないとどうにも到達することができないようで、物理的には踏査可能でした が、権利上の問題を考慮して諦めました。 出丸があったとされる妙照寺の尾根先端部は、現在は墓地としてすっかり造成され ています。ただ、細長い尾根の中途に気になる横一直線の通路があります。この通路 は、両サイドで麓へ下りる階段となるのですが、この階段がどちらともかなりの急勾配 となっています。ここには出丸の堀切があったのではないかと、直感的に思いました。 |
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大井追花城址近望。 | |
土塁状土盛り。 | |
斜面のようす。 | |
出丸跡とされる妙照寺墓地。 | |
墓地を横切る通路。堀切跡か。 背後も同様な感じになっています。 |