桝形山城(ますかたやま)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: 三田氏または北条氏照
 遺構  : 曲輪跡、土塁、空堀、土橋
 交通  : JR青梅線二俣尾駅または石神前駅徒歩20分


       <沿革>
           史料にはみられない城である。城山の南麓には、後北条氏時代に神田因幡守正高なる人物が
          居住していたとされるが、桝形山城との関係は不明である。
           中世城郭研究家の田中祥彦氏は桝形山城『多摩丘陵の古城址』のなかで、北条氏が永禄四〜
          六年(1561〜63)に辛垣城を攻めた際に築いた対の城であると結論付けている。

       <手記>
           桝形山城は辛垣城の南東に位置し、通称「物見山」から南にのびる尾根のピークを利用した城
          です。物見山から尾根伝いに獣道を進むと、2、3の堀切と土橋を渡って主郭に辿りつきます。
           主郭には大山祗神社が祀られていて、主郭の南側にも堀切と曲輪が連続しています。主郭の
          南2つ目の堀切脇に神社の鳥居があり、ここで道は西手と東手に分かれます。東側に向かうと
          石神前駅方面へ、西へ下りると二俣尾駅方面へ出ます。大手は二俣尾方面と思われ、この道は
          深い九十九折の堀底道となっています。訪城にあたっては大手から登りたいところではあります
          が、この道は麓からはまず見つからない民家脇に出るので、辛垣城を見た次に物見山から回り、
          大手へ下りるルートを絶対におすすめします。
           桝形山城の特徴は、堀切から伸びる竪堀がすべて西側つまり辛垣城方面を向いていることと、
          辛垣城に比べて格段に遺構や縄張りが整っていることです。
           これらの特徴から、田中氏は桝形山城を北条氏が築いた対の城と断じています。しかし、私は
          この見方に疑問を抱いています。理由の1つは、桝形山城が辛垣城を追いつめるには中途半端
          な位置にあることです。辛垣城に追いつめられた三田氏にとって、最後の望みは北の上杉勢力
          からの援軍です。これを断つには、東西の尾根筋と北の峰を封鎖する必要があります。しかし、
          桝形山城ではこれらのどれをも封じることはできません。対の城とするにはもっとも効果の弱い
          位置にあるといわざるを得ません。
           2つ目は、そもそも北条氏の攻城戦には付城戦略がみられないという点です。付城戦略を得意
          としたのは、たとえば織田信長ですが、信長の付城戦略は目的の城を多数の付城で取り囲むと
          いうものです。対して北条氏は、たとえば三浦氏の新井城を落とすのに3年を要しましたが、その
          間にとくに付城を築いたという話は聞いたことがありません。すでに趨勢の決した三田氏相手に
          わざわざ対の城を築くものかも疑問です。
           これらの疑問はあくまで理論上のものに過ぎず、確証があるわけではありません。ただ、田中
          氏が自信をもって断ずるほどの根拠もまた、ないと思われます。
           個人的には、辛垣城に代わる多摩川上流域支配の城として、三田氏滅亡後に氏照が築いた
          のではないかと推測しています。後北条氏は、あまり高所の山城を好まない傾向があり(峠や
          街道監視の城を除いて)、辛垣城もまた、このトレンドに抵触してもおかしくない峻嶮な山城です。
          そこで、三田氏を潤した山林資源を確保するための城として、辛垣城よりはソフトな位置に新たな
          城を築いたと考えることは、十分に可能だと思われます。
           案内も碑もない埋もれた城ですが、辛垣城以上に遺構の残存状況は良好なうえに、辛垣城と
          同じくらい謎を孕んだ城であるといえます。ちなみに、藪をかき分けて主郭に到達したとき、主郭
          の大山祗神社まで登るのが日課でもうすぐ80歳という(とてもそうは見えない)ご老人と出くわし
          ました。ご老人は、「まさかこんなところで人に会うとは」とたいそう驚いておられましたが、それ
          くらい穴場な城です。

           
 桝形山城遠望。
主郭のようす。 
 主郭裏手の竪堀。
主郭裏手の曲輪。 
 (おそらく)最後部の堀切と土橋。
主郭南方1つ目の堀切。 
 主郭南方2つ目の堀切。
大手道と思われる堀底道。 


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