小川城(おがわ) | |
別称 : なし | |
分類 : 平城 | |
築城者: 小川氏 | |
遺構 : 土塁 | |
交通 : JR湖西線安曇川駅徒歩20分 | |
<沿革> 佐々木氏家臣小川氏の居城とされる。小川氏について、『中世城館調査報告書集成』に よれば、『小川記』なる書物に「小川城ハ蒲生郡箕作城主 食邑七萬石 佐々木定頼ノ二男 従五位下源義實ノ築ク処ニシテ」とあるとされる。 佐々木定頼とは六角定頼のことと推察されるが、定頼の子に義實の名は確認できない。 「七萬石」という、六角氏家臣としては大きすぎるようにみえる禄高や、箕作城主に小川氏 あるいは義實を名乗る人物が見受けられないことからも、『小川記』の内容の信憑性には 疑問が残る。 元亀三年(1572)の織田信長の高島攻略に際し、小川城主小川主膳正秀康は他の高島 の諸城と同じく信長に屈した。その後の小川城については不明である。 なお、『日本城郭大系』では城主名を「主膳正秀」としているが、「康」の字が欠落したもの と思われる。 <手記> 小川城址は、鴨川下流域の平野のなかに位置しています。城跡には、現在も小川氏の ご子孫が住んでおられます。その居宅西側の田の畔に小川城址の標識が立っていて、 田の北側には城の北辺の土塁が残っています。小川城は、南は青井川までが城域とも 伝わっているそうですが、現在は圃場整備が進み、見渡すところこの他に遺構は見受け られません。 ちなみに小川城のすぐ東には、江戸時代初期の陽明学者中江藤樹の私塾である藤樹 書院跡があります。 |
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小川城址標柱。 | |
北辺の土塁を望む。 |