大室城(おおむろ)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 長尾氏
 遺構  : 曲輪跡、土塁、水濠
 交通  : 上毛電鉄赤坂駅よりバス
       「三木辻」バス停下車


       <沿革>
           12世紀末ごろまで大室氏がいたとされるが、そのころすでに城館が営まれていたかは不明
          である。
           史料に現れるのは、戦国時代に入り、白井長尾氏家臣牧氏の居城としてである。長尾憲景
          の次男政景(上杉景勝の父の上田長尾政景とは別人。後に景広と改名)は後北条氏の人質
          となっていたが、北条氏の意向により利根川以東の長尾氏領を分知されることになった。
           しかし、白井長尾氏当主の兄輝景や大室城主牧和泉守・同弾正はこれを承知しなかった。
          天正十一年(1583)、北条氏の後ろ盾を得た政景は牧氏を攻め滅ぼして城と領土を奪った。
          その後、政景は大室城に居城したと思われるが、詳細は不明である。同十八年(1590)の
          小田原の役で白井長尾氏は所領を失い、後に越後上杉氏を頼った。
           慶長六年(1601)、酒井重忠が前橋藩主となると、酒井氏家臣の石川氏が大室城を管理
          することになった。それまでは、重忠の前の前橋城主であった平岩親吉が大室城を預かって
          いたものと推測されるが、確証はない。寛延二年(1749)に酒井家が姫路へ転封となると、
          大室城の管理は最善寺に任せられたとされる。ただし、酒井氏時代にすでに城としての体裁
          は失われていたものと考えられる。

       <手記>
           大室城は、西神沢川の支脈と東神沢川に挟まれた、細長い台地上の城です。丘の頂部に
          ある大室神社が本丸で、その東麓の二の丸とで主城域を形成しています。本丸の周囲には
          土塁が、二の丸の周囲には土塁と水濠が巡っています。また、主城から両神沢川の合流点
          まで、総郭が細長く伸びているのが特徴です。

           
 本丸(大室神社)の土塁。
二の丸(公民館)北東の水濠と土塁。 
 二の丸南東隅の説明板。
 背後に水濠と土塁。
二の丸南東隅の水濠と土塁。 
 総郭南端付近を望む。


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