大野北城(おおのきた) | |
別称 : 佃城、中坪城 | |
分類 : 平城 | |
築城者: 佃教氏 | |
遺構 : 土塁 | |
交通 : 琴電琴平線一宮駅徒歩20分 | |
<沿革> 在地領主佃氏の居城とされる。佃氏は源姓で、初代・経氏が足利尊氏に属して転戦し、 摂津国西成郡佃郷に所領を与えられたことにはじまるとされる。また、淀川の南側に位置 することから川南氏とも称した。ただし、それ以前の名乗りについては不明である。 貞治元/正平十七年(1362)、経氏の次男・教氏は、細川頼之に従って南朝方の細川 清氏と讃岐で戦い、その功績により大野郷に土地を与えられた。大野北城は、このときに 教氏によって築かれたとされる。 6代目の佃義成(川南肥前守)は武勇で知られ、天文十六年(1547)に没した。その後の 詳しい動静は定かでないが、佃氏はいったん摂州へ移り、讃岐へ戻って高松藩生駒家に 仕えたとされる。 <手記> 大野北城は行寺池の南西に位置する平城で、上の図に示した箇所に西辺とされる土塁 が残っています。土塁上には城荒神と、佃義成の墓とされる五輪塔があります。 古図によれば南北127m・東西93mの矩形の館城だったようです。堀跡は現状で判然と しませんが、東側を南北に走る道路と水路は、距離的にみて城の東辺ではないかと推察 されます。 ちなみに、大野北城とは香川町大野に存在する2つの城のうち、大野南城に対するもの としての呼称です。当時はおそらく、別称の佃城ないし中坪城などと呼ばれていたのでは ないかと思われます。 |
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土塁跡と城荒神。 | |
土塁脇の説明板。 | |
東辺か。 |