大類館(おおるい)
 別称  : 大類氏館
 分類  : 平城
 築城者: 大類氏
 遺構  : 堀跡
 交通  : JR高崎駅よりバス。「柳原」バス停下車徒歩3分


       <沿革>
           武蔵七党の1つ児玉党の流れをくむ大類氏の居館跡である。大類氏は、秩父重綱の養子
          となった児玉経行の子行重の曾孫行義にはじまるとされる。その後、大類氏は平治の乱で
          源義朝側に属して戦ったとされ、『吾妻鏡』にも登場する。
           建武二年(1335)には、大類行光(孫太郎/弾正)が足利尊氏方として、薩た山(「た」は
          土へんに垂)の戦いで討ち死にしている。また、永享十二年(1440)の結城合戦では、大類
          中務丞が幕府軍に加わっている。
           永禄四年(1561)に編纂された、長尾景虎(後の上杉謙信)に従った関東の武将について
          記した『関東幕注文』にも、大類弥六郎の名がみえる。しかし、これ以降大類氏の名はみら
          れなくなる。大類館のすぐ北には、同九年(1566)の箕輪城の落城後に築かれた大類城
          あり、大類氏はこのころまでには没落していたものと推測される。


       <手記>
           大類館は、井野川の支流が数本平行して流れる緩やかな平地の河岸にあります。館の
          前を、中山道および三国街道と伊勢崎を結ぶ幹線道路が走っていて、古くから交通の要地
          であったと拝察されます。
           『中世城館調査報告書集成』の縄張り図によると、小川を背に二重の堀に囲まれた構造
          をしていたようですが、宅地化などにより現在はっきり見て取れるのは内郭の堀だけです。
          碑や説明板など、館跡を示すものもありません。


           
 大類館内郭の堀跡。
同上。 


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