大槻氏館(おおつきし)
 別称  : 大槻氏城
 分類  : 平城
 築城者: 大槻氏
 遺構  : 堀跡
 交通  : JR東海道本線守山駅よりバス
       「木浜口」バス停下車徒歩5分


       <沿革>
           在地領主大槻氏の居館である。大槻氏の出自は定かでないが、鎌倉時代初期からこの地に
          住していたとされ、建久六年(1195)に源頼朝が上洛した際、付き従った御家人のなかに名が
          みられるという。
           室町時代に入ると、大槻氏は近江守護六角佐々木氏の家臣となった。六角義賢・義治父子
          に仕えた大槻源兵衛光秀は、木浜の役関奉行に任じられて3千石を領したとされる。六角氏が
          滅んだ後は織田信長に仕え、光秀は天正元年(1573)の柳瀬の戦いで、朝倉義景軍と戦って
          討ち死にしたとされる。
           光秀の子庄十郎光永は、大坂の陣に際して藤堂高虎に属して戦い、津藩の禄を食んでいた
          が、後に木浜に戻って家督を継承したと伝わる。

       <手記>
           大槻氏館跡には、現在も大槻氏のご子孫が住んでおられます。以前はお宅の周囲を堀跡の
          水路が巡っていたそうですが、今日では失われています。
           大槻氏宅の裏手は畑兼の庭となっていますが、こちらは堀跡と思しき側溝がカーブを描いて
          囲っていて、城館跡のよすがを感じさせます。
           西100mほどのところには、進藤氏の居城とされる木浜城比定地があります。ただ、大槻氏
          の館の方が集落の中心に近く、大槻氏がもともとの木浜の領主であったことをうかがわせます。

           
 大槻氏館跡の大槻氏居宅前。
裏手のようす。側溝は堀跡か。 


BACK