神明砦(しんめい)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: 不明
 遺構  : 曲輪、土塁
 交通  : JR中央本線南木曽駅よりバス
       「橋場」バス停下車徒歩10分


       <沿革>
           地元では神明様や神明山とも呼ばれている。史料にはみられず、詳細は不明である。


       <手記>
           神明砦は、蘭川と男だる川の合流点に細長く突き出た舌状の丘陵を利用して築かれた
          砦です。眼下で両川に沿って進む中山道と飯田街道も合流する要衝に位置しています。
           その地理的重要性や遺構は明瞭ですが、史料には現れない城です。蘭川上流の蘭砦
          は、似たような立地にあり、城下に橋場といった同じ地名をもっています。蘭砦が、天正
          十二年(1584)の小牧・長久手の戦いにともなう妻籠城の戦いに際して、徳川軍に落と
          されていることから、神明砦もこのときまでに木曽氏によって築かれ、同じく落城したもの
          と推測されます。
           神明砦へは、麓の大妻籠集落の北東端付近から、城山の先端側回りで登る道があり
          ます。南側から中山道を歩いてきた私はこの道に気付かず、南西麓から休耕地となって
          いる斜面を這い上り、下山時に上記の道を発見しました。尾根続きの西側は、藪がひど
          くて通れそうにありません。この西側には堀切があったものと思われますが、道路建設
          などで削られてしまっているようです。
           城山の上には、連郭式に3〜4つの曲輪が並んでいます。各曲輪間に堀は設けられて
          いないようです。主郭と思われる曲輪には、櫓台状の土塁があります。こんな小さな砦に
          高櫓が建てられていたとは思えないので、おそらくは狼煙台だったものと推測されます。
          神明山というくらいですから、かつては神明社があったのでしょうが、現在は石神様すら
          見当たりません。
           尾根先から下りる道の脇には小さな土塁が続いていますが、城の遺構なのかは判別
          できません。下りた先にも3、4箇所の削平地が階段状に続き、その下の中山道の橋場
          を直接に扼していたものと考えられます。
           砦の麓の大妻籠は、妻籠宿の1つ手前の集落です。かつてはサブの宿場だったようで、
          妻籠宿に劣らぬ、うだつの上がった旅籠造りの立派な家々が建ち並んでいます。

           
 大妻籠集落内から神明砦跡を望む。
主郭の櫓台状土塁。 
 主郭背後の曲輪を望む。
 その向こうは堀切跡か。
主郭のようす。 
 
 主郭の先の曲輪のようす。
城山の先端から下る道筋の土塁。 
 北西麓の削平地その1。
 その2。 
 その3。
おまけ:大妻籠集落のようす。 


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