土居城(どい)
 別称  : 大屋城
 分類  : 平城
 築城者: 大屋氏か
 遺構  : 不詳
 交通  : 東名自動車道三ヶ日ICから車で3分


       <沿革>
           佐久城主・浜名氏の一族・大屋氏が居住していたとされる。永禄年間(1558〜70)には、
          大屋左馬允政景が城主であった。同十一年(1568)に徳川家康が遠江国へ侵攻し、浜名
          頼広が城を捨てて甲斐国へ落去すると、頼広の叔父・大屋安芸守政頼が残党を糾合して
          佐久城に籠城したが、徳川勢を前にして降伏勧告を受け入れた。政景は政頼の弟とされる
          が、この戦い及びそれ以降の動静については定かでない。
           浜名氏の没落と共に、土居城も廃城となったとされる。


       <手記>
           都筑大谷川とその支脈の合流点に臨む舌状地形上の城館です。『日本城郭大系』には
          「単郭式の居館」とあり、城名の由来は、周囲を土塁で囲まれていたからとされています。
          「大屋」とは「大谷」であり、大屋氏は代々、大谷川流域に勢力を築いていたのでしょう。
          土居城とは「大屋氏の土居」という意味であり、当時の呼称ではなかったと思われます。
           現状は民家や柑橘畑となっており、方形館の痕跡らしきものは見当たりません。県道が
          東側の沢谷戸を渡ったあたりに説明板が建っているのが、唯一のよすがとなっています。

           
 土居城址説明板。
説明板周辺現況。 
 東側の沢谷戸。


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