岡前館(おかまえ)
 別称  : 御構
 分類  : 平城
 築城者: 姉小路家綱か
 遺構  : なし
 交通  : JR高山本線飛騨細江駅徒歩20分


       <沿革>
           国司大名姉小路氏の初期の館と見られている。飛騨姉小路氏は、建武年間(1334
          〜36)の建武の親政において、姉小路家綱が飛騨国司に任じられたことにはじまる。
          まもなく、小島家・古川家・向家の3家に分裂し、小島家が嫡流とされたが、岡前館の
          扱いについては詳らかでない。
           応永十八年(1411)、古川家の姉小路尹綱は小島家の居城であった小島城を攻撃
          した(飛騨の乱)。小島家当主の姉小路師言は在京していたが、幕府は飛騨守護の
          京極氏に尹綱追討を命じ、尹綱は敗れて自害した。遅くともこのときまでには、岡前館
          は廃絶していたものと推測される。


       <手記>
           諏訪神社の麓の緩やかな傾斜地が、岡前館跡とされています。現在は集落に飲み
          こまれていて、遺構はおろか説明板や標柱などといったものもありません。南東麓に
          杉崎廃寺跡があり、このあたりが古くから開けていたことが分かります。また、正面に
          小島城跡の峰が延びており、岡前を本拠にまず小島城が築かれ、そこから古川家や
          向家が分家したというのも、直感的にはうなずけます。
           館の唯一のよすがといえるのが、神社の社務所脇にある「姉小路家墳墓地」です。
          岡前の山裾から発掘された墓塔を移したもので、岡前館を姉小路家の居館跡とみる
          手がかりの1つとされています。その説明板には、岡前に「御構」の別称が添えられて
          おり、これが事実なら、当時は単に「御構」と呼ばれていた可能性が高いといえます。

           
 岡前館跡周辺現況。
杉崎廃寺跡。 
奥の住宅エリアが岡前館跡。 
 姉小路家墳墓地。
館付近から小島城跡を望む。 


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