小坂館(おさか)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 不明
 遺構  : 堀跡、土塁
 交通  : JR常磐線牛久駅よりバス
       「小坂城跡入口」バス停下車徒歩10分


       <沿革>
           「堀の内」の小字が残り、遺構が認められるとされるが、詳細は不明である。


       <手記>
           『余湖くんのホームページ』さまの情報によると、小坂城南東の慈眼院背後の丘が
         比定地とされています。『大和之古城』さま管理人のダイさんたち3人と訪ね、慈眼院
         の西側を登る切通し道から竹藪に突入したところ、堀や土塁の遺構を確認しました。
          竹藪があまりに深く、残念ながら全体像を把握するには至りませんでした。ただし、
         現在の切通しは後世につくられたものと思われるので、おそらく当時は崖端の方形館
         だったのではないかと推測されます。
          小坂城との間には距離的な断絶があり、両者に相互補完の関係があったとは考え
         にくいでしょう。構造的には明らかにこちらの方が古いものなので、あるいは小坂城が
         築かれる前の小坂地域の領主の居館とも拝察されます。
          天文十七年(1548)には小田氏治と東条重定の間で「小坂の戦い」があり、一般的
         には小坂城をめぐる攻防戦であったと解釈されています。ただし、その舞台はこちらの
         方であった可能性も、考えられようかと思われます。

           
 慈眼院。
比定地の堀跡。 
 同土塁。


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