小坂城(おさか)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 岡見氏か
 遺構  : 曲輪、堀、土塁、虎口、土橋、櫓台
 交通  : JR常磐線牛久駅よりバス
       「小坂城跡入口」バス停下車


       <沿革>
           『小田家風記』に、岡見備中守の名が城主として記されているとされる。備中守は牛久城主
          岡見氏の一族と推定されるが、詳しい系譜は不明である。築城時期は牛久城が築かれたと
          される天文年間(1531〜55)ごろと推測される。
           『新編常陸国誌』によれば、天文十七年(1548)に泉城主東条重定が攻め寄せ、小田氏治
          と岡見氏が小坂で迎え撃ち、重定を討ち取ったとされる(小坂の戦い)。この戦いの記述に、
          小坂城は明確には現れないものの、このときまでには城が築かれていたものとみられている。
          地元には、城仕えの女中が水汲みの途中で寄せ手の軍勢に気付いて知らせ、戦後に褒美を
          賜ったとする伝承があるとされる。ただし、この戦いが天文十七年のものを指すのかは定かで
          ない。
           その後の小坂城の歴史については詳らかでない。


       <手記>
           小坂城は、小野川に臨む台地の凸部に築かれています。川を少し遡ったところに岡見郷が
          あり、小坂城が岡見氏によって早い段階で築かれたことは想像に難くありません。
           城跡一帯は城址公園化され、本丸の南西部が道路建設によって削られているものの、ほぼ
          全体が良好な形で保存されています。規模は必ずしも大きくないものの、折れを多用した直線
          を基調とする曲輪が特徴的で、システマティックな構造をしています。一見すると輪郭式のよう
          に見えますが、実際には主郭から四曲輪まで一本の線で繋がった、梯郭式ないし変則連郭式
          の城といえます。
           最終改修者は後北条氏…と言いたいところですが、明らかに南東方向を意識した縄張りで
          あるところが気になります。北条氏の手が加わっているなら、むしろ北西方面に城域が広がり
          そうなものですが、逆にこちら側は緩斜面となっていてかなり無防備です。したがって、順当に
          考えれば、江戸崎城主土岐氏と対立していたころの小田・岡見氏の城であり、その時の基本
          構造を維持し続けたまま改修を受けた城とみるべきでしょう。
           1580年代に入って、岡見・土岐両氏とも北条氏の影響下に置かれると、牛久城と木原城
          北条氏の前線の城として取り立てられました。小坂城はこの両城を結ぶライン上に位置して
          おり、中継地点として顧みられていた可能性は十分に考えられます。
           史料にはほとんど見られない城ですが、技巧的な構造と良質の遺構を残す城跡として、中世
          城郭ファンの間では高い人気を誇っているようです。

           
 小坂城址碑。
主郭のようす。 
 主郭からの眺望。
二曲輪から本丸堀越しに本丸櫓台状張り出しを望む。 
 二曲輪のようす。
二曲輪外縁の堀と土塁。 
 二曲輪の虎口。
二曲輪の空堀。 
 同じく折れをもつ二曲輪の空堀。
三曲輪俯瞰。 
 三曲輪の虎口。
三曲輪の空堀。 
 四曲輪俯瞰。
四曲輪南辺の堀が二重になっている箇所。 


BACK