忍田城(おしだ)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: 忍田入道か
 遺構  : 曲輪、土塁、堀、井戸跡
 交通  : 伊勢自動車道芸濃ICから車で10分


       <沿革>
           『勢陽五鈴遺響』に「白河天皇朝忍田入道居セリ 其裔忍田美濃守同平左衛門嗣テ住ス」と
          あるとされる。対岸の雲林院城に雲林院氏が成立したのが13世紀末以降とされており、忍田
          入道が実在したとすれば、白河天皇の在位期間である11世紀後半の人物ということになり、
          雲林院氏以前から忍田氏があったことになる。雲林院城の麓の美濃夜神社には、「忍田村
          地頭紀宗□」と記された寛元二年(1244)棟札が残っており、忍田氏が紀姓である可能性が
          考えられるが、確証はない。
           築城主が忍田氏であるとしても、時代を鑑みて築城年は南北朝期以降と推測されるされる。
          忍田美濃守や同平左衛門を含め、忍田氏および忍田城についての詳細は定かでない。


       <手記>
           上述の通り、雲林院城から安濃川を挟んだ北側に向かい合う一峰に築かれた城です。南麓
          の集落は道が狭く、駐車スペースに苦労したのですが、北東の峠道沿いに広めの待避場が
          ありました。しかもそこから、山腹の用水に沿って歩いていけば、適当なところで跨いで山肌に
          取り付けます。
           登りはじめてすぐのところに広い削平地がいくつか見受けられ、『日本城郭大系』でも「城郭の
          一部をなすものと思われる」としています。また、削平地群と合わせて石組みを有する井戸跡も
          2か所ほどありましたが、いずれも本当に城の遺構なのかどうかは留保が必要でしょう。
           山腹の削平地群から少し登ったところで別の削平地群が現れ、ここからは間違いなく城域と
          みられます。その南東端には虎口曲輪ないし大手曲輪と思しき枡形状の曲輪がありその背後
          の土塁が主郭まで一直線に延びているのが特徴的です。
           主郭は山頂を背後土塁とする掘り込み式で、伊賀式城館の流れを汲んでいます。安濃川を
          遡れば峠を越えて伊賀に至るため、その影響が及んでいたとしても不思議ではありませんが、
          他方で対岸の雲林院城には伊賀式の特徴はみられません。忍田城および忍田氏が雲林院城
          および雲林院氏より古い証左と言えなくもありませんが、早計は慎むべきでしょう。
           主郭の背後には堀切が穿たれています。と、私はさらに奥の尾根筋にピンとくるものを感じて
          ずんずん歩てみたのですが、だいぶ離れたところで堀切を1条発見しました。峠道が設けられる
          ような箇所でもないため遺構に違いないと小躍りしたのですが、跡で調べたところ『大系』にも
          この堀切について記されていました。とはいえ、自力で発見できたことには自分の勘が鈍って
          いないことを確認できて嬉しく感じます。

           
 南麓から忍田城跡を見上げる。
麓の用水沿い。 
 山麓近くの削平地。
同上。 
 同上。
井戸跡か。 
 山上の削平地。
 ここから城域と思われます。
大手曲輪か。 
 大手曲輪背後から主郭へ続く土塁線。
同上。 
 主郭のようす。
同上。 
 主郭の土塁。
主郭背後の堀切。 
 主郭から尾根を遡った先の堀切。


BACK