雲林院城(うじい)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: 雲林院祐高か
 遺構  : 曲輪、堀、土塁、虎口
 交通  : 伊勢自動車道芸濃ICから車で10分


       <沿革>
           伊勢の有力国人・長野氏の分家・雲林院氏の居城である。長野氏は、曽我兄弟の仇討ちで
          有名な工藤祐経の三男・祐長を祖とし、雲林院氏は祐長の孫・長野祐藤の次男・祐高(祐尊)
          にはじまるとされる。雲林院城も祐高によって元弘元年(1331)に築かれたと伝えられるが、
          確証はない。
           『勢州軍記』や『勢州四家記』では、雲林院氏と長野氏を「工藤の両家督」と表現しており、
          長野工藤氏の分流のなかでも、雲林院氏はとくに有力であったとみられる。ただし、戦国時代
          後期の雲林院出羽守祐基に至るまで、雲林院氏の動静は定かでない。祐基は長野稙藤の子
          で雲林院氏の養嗣子となったが、養父の名は不明である。
           稙藤は北畠氏の攻勢に屈し、永禄元年(1558)に北畠具教の次男・具藤を嫡子・藤定の養子
          に迎えた。稙藤・藤定父子は永禄五年(1562)五月五日の同日に死去し(北畠氏による暗殺と
          みられている)、長野氏は事実上の北畠氏一門となったが、雲林院氏はその幕下に留まった。
           永禄十一年(1568)に尾張の織田信長が伊勢に侵攻すると、具藤は織田氏に通じた分家の
          細野藤敦に追放された。祐基も織田家に臣従し、娘を信長の側近・矢部家定に嫁がせている。
          しかし、祐基は長野氏を継いだ信長の弟・信包と折り合いが悪く、天正八年(1580)に雲林院城
          を逐われた。これにより雲林院城は廃城となったと推測されるが、詳しい扱いは不明である。
          祐基自身は婿である矢部家定の伝手で信長に召し抱えられたとみられ、天正十年(1582)五月
          の『信長公記』の記事に、安土城留守居役の一人として雲林院出羽守の名が見える。
           なお、同時代の雲林院姓の人物として雲林院光秀(松軒)が知られている。光秀は塚原卜伝
          の高弟とされ、信長の三男・信孝の兵法指南役と務めたともいわれる(『岩尾家文書』)。祐基と
          同じ出羽守を称したともされ、そのため光秀を雲林院城主とする場合もあるが史料上の裏付け
          はない。光秀の子とされる弥四郎光成については、熊本藩細川家に長く仕えており実在が確か
          であるが、光秀については祐基との関係など出自や経歴に不明な点が多い。


       <手記>
           雲林院城は安濃川が上流の渓谷部から平野部に出る喉口部の峰上に築かれています。対岸
          には忍田城跡がありますが、両者の関係は定かでありません。林光寺の墓地脇から登城路が
          付いていて、部分的に道筋が分かりづらいところもありますが、木に掛けられた指さしマーク付き
          の案内標識を辿って行けば大丈夫です。
           登った先には大手とされる虎口があり、枡形状の喰い違いとなっているのが大きな特徴です。
          大手は2段の曲輪で虎口に取りついた敵を2方面から攻撃できるようになっており、城内で最も
          技巧的な箇所といえます。大手曲輪群を抜けると、尾根筋に堀切跡と思しき浅い土橋があり、
          その先にまた2段の広い曲輪が待ち構えています。大手にこのような工夫が集中しているのは、
          祐基が織田氏に服属してからなのかそれ以前からなのか、気にはなりますが答えは出せそうに
          ありません。
           大手の尾根は主郭下に堀切が設けられており、その先の小ピークは擂鉢状の小曲輪となって
          います。あまり役に立ちそうな曲輪ではないので、物見ないし狼煙台の可能性があるでしょう。
          主郭は大きな建物があったと思われる広い下段区画と、土塁状の上段とから成っていて、下段
          にも仕切り状の低い土塁が見受けられます。上段は櫓台という感じでもなく、成形も中途半端で
          なんとも用途の掴みづらい区画です。
           主郭西側下には電線鉄塔が建っていて、そこから一つ南の峰へスライドすると別個の曲輪群
          があります。二の丸とされることもあるようですが、主郭部に対して独立性が高く、出城と言って
          差支えないでしょう。その頂部には土塁で囲まれたメインの曲輪があり、前方には細長い曲輪を
          経て、城内で最大と思われる堀切が穿たれています。そのほか、主郭の北東尾根にも曲輪群が
          あるようですが、藪に阻まれてちょっと断念しました。
           ちなみに、城山裏手の河内渓谷は紅葉スポットのようで、12月の初めでしたが最後の紅葉を
          楽しみに多くの人が来ているようでした。この時期には少し離れた福祉会館の駐車場も観光用
          に開放されるようです。

           
 北東から雲林院城跡を望む。
東から望む。 
 林光寺。
大手下の削平地と切岸。 
 大手虎口。
大手曲輪下段。 
 大手曲輪上段。
大手曲輪群の先の堀切状地形。 
 堀切状地形の先の曲輪群。
同上。 
 主郭下の堀切。
堀切先端側の擂鉢状の曲輪。 
 主郭下段のようす。
説明板。 
 主郭下段の仕切り状土塁。
主郭上段のようす。 
 主郭上段から安濃川上流方面の眺望。
南側の峰との間の鞍部。 
堀切跡か。 
 南側の峰の頂部曲輪。
頂部曲輪の土塁。 
 南峯尾根筋の曲輪。
その下の腰曲輪。 
 南峯の堀切。
同上。 
 林光寺南東の居館跡推定地。


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