忍野鐘山(おしの)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: 不明
 遺構  : 曲輪跡、虎口、堀、土橋
 交通  : 富士急行富士吉田駅よりバス
       「サンパーク前」バス停下車徒歩5分


       <沿革>
           遺構ははっきりみられるが、史料には登場しない城跡である。鐘山という名称から、鐘撞堂
          あるいは烽火台として築かれたものと推測されているが、詳細は不明である。


       <手記>
           忍野鐘山は、桂川がU字に屈曲する内側に突き出た峰の先端部に位置しています。桂川の
          渓谷を挟んで旧鎌倉街道が走る交通の要衝にあります。
           城山へ登る道はとくにないので、山肌をよじ登る必要があります。山の西側はクレー射撃場
          となっていて、登ってから気付いたのですが、銃口はこちらを向いているので訪城には注意が
          必要です。
           城は、主郭とその東の曲輪を中心とした構造となっています。主郭は、先端に堀切を隔てて
          複数の腰曲輪をしたがえています。また、主郭の入口である東側には喰い違いの虎口とその
          下に小さな武者溜り状の曲輪があります。その先は堀切と土橋を経て副郭に至ります。北側
          の帯曲輪は、2つの曲輪にまたがる大きなものです。
           忍野鐘山は今に残る遺構、とくに主郭の虎口などをみるに、明らかにただの烽火台とは思え
          ません。北西の吉田城山もそうですが、16世紀後半に城郭として改修をしっかりと受けている
          ような印象を受けます。あるいは、天正十年(1582)の天正壬午の乱に際して、御坂城などと
          ともに後北条氏によって改修されたものかもしれません。

           
 主郭のようす。
主郭先端方面の堀切と土橋。 
 主郭東端の虎口。
虎口下の武者溜りから主郭東の堀切を望む。 
 主郭北側の帯曲輪。


BACK