小山田城東砦(おやまだじょうひがし)
 別称  : 東砦
 分類  : 平山城
 築城者: 不明
 遺構  : 不詳
 交通  : 小田急線町田駅またはJR相模原線淵野辺駅よりバス
       「上山崎」バス停下車徒歩5分


       <沿革>
           「東砦」「見張場」「張山」などの小字が残っているが、史料にはみられない。東京都の
          遺跡地図には町田市No.215号遺跡として登録されている。

       <手記>
           ヤギの放牧による雑草刈りの実験で有名になった山崎団地の北西、古淵近くの境川
          から北に延びる、古道が鶴見川を渡る手前付近が砦跡とされています。『日本城郭大系』
          には「小山田城東砦」とありますが、小山田城との関連は立証されていません。おそらく
          「東砦」に対応するこれより西の城砦として、考えられるのが小山田城しかなかったこと
          からの類推と思われます。
           忠生の丘陵地帯の北東端付近に位置し、北は鶴見川の河岸、東側も緩やかな傾斜と
          なっていて、緩やかながら舌状の地形をなしています。明確な遺構はみられませんが、
          地形を鑑みるに、およそ上の地図に示した範囲あたりが城域ではないかと考えられます。
          ちなみに、都遺跡地図に示された範囲はもっと広いです。ここで、南から北上した古道は
          さらに三本に分かれ、それぞれ小山田城方面と小野路宿方面、そしてその間の結道の
          谷戸へ向かっています。このうち小野路へ向かう道は、旧奥州街道とみられています。
          さらに、鶴見川の向こうを芝溝街道が東西に走っており、これらの街道監視が砦の第一
          の役割であったことは想像に難くありません。『大系』では小山田城防禦が目的と推察
          していますが、防衛が第一であれば、すぐ西側や川向うにもっと高く急峻な適地がある
          ように思います。
           砦跡を貫通している幹線道路の1本西側に、切通しとなって河岸を下る細い道があり、
          これが旧道と思われます。この道を下った脇に、「士族」と書かれた立派な表札のある、
          これまた立派な長屋門付きの邸宅があります。このお宅は、河岸の張り出し部に建て
          られており、周囲を城館跡を思わせる切岸に囲まれています。また、この河岸の車道
          東脇には、削平地のような畑地があります。それぞれ砦と何らかの関係があるようにも
          思われますが、何ともいえません。個人的な推察としては、現在幼稚園の建つ西側の
          峰と砦とで街道を挟み込み、さらに北の芝溝街道を眼下に掌握する、純粋に監視・関所
          的な役割をもった城砦だったのではないかと考えています。
           余談ですが、砦の南西窪地にある簗田寺は、江戸時代初期の旗本簗田氏の菩提寺
          です。簗田氏は、桶狭間の戦いでの戦功第一として知られる簗田政綱の子孫とされて
          いますが、元禄九年(1696)に無嗣断絶となりました。この簗田寺は、三方を峰に囲ま
          れた窪地ということで、江戸時代の旗本の陣屋というよりは室町以前の開発領主の館
          地形といえます。あるいは、砦主との関連もあるのではないかと、ふと訪ねてみて感じ
          ました。さらには東砦自体、鶴見川の源流に位置する小山田城主の一族が、少し下流
          に開拓の手を伸ばした際に設けたものなのではないかとも、だいぶ敷衍して考えたり
          しました。
           
 東砦北辺の斜面。削平地跡か。
東側斜面。 
 旧道と思われる切通し道。
おまけ:簗田寺。 


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