泉城(いずみ) | |
別称 : 和泉城 | |
分類 : 平城 | |
築城者: 本間末長か | |
遺構 : 土塁、堀跡 | |
交通 : 両津市街または佐和田市街からバスに 乗り、「泉」下車すぐ |
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<沿革> 応永二十九年(1422)に、泉保の所領を本間四郎左衛門尉末長に安堵する文書が 残っており、このころには築かれていたものとみられているが、確証はない。泉には、 承久三年(1221)の承久の乱で佐渡に流された順徳上皇の行宮である黒木御所が あり、それ以前から開けた土地であったことがうかがえる。末長以前から、前身となる 城館が存在した可能性も考えられる。末長は佐渡守護代本間氏の一族とみられるが、 詳しい系譜は不明である。末長の跡は、四郎左衛門尉頼長、さらに太郎左衛門尉に 所領が安堵されている。 その後の泉本間氏の動向は詳らかでない。戦国時代末期には本間左京亮豊季が 城主で、500石を領し最盛期を迎えたとされる。しかし、天正十七年(1589)に佐渡へ 出兵した上杉景勝に降伏し、泉城も廃城となった。 <手記> 表通り沿いにある農協倉庫の北側が泉城跡です。単郭方形の館城で、郭内は民家 裏の森となっているため見学は困難です。倉庫の北西隅には、説明板が建てられて います。 周囲を一周すると、堀跡と思しき畑や、土塁の痕跡と思われる土盛りなどが見られ ます。北西の北野神社境内と館跡の間には用水路が通っていて、これも堀の名残り ではないかと思われます。 |
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泉城址説明板。 | |
西側から城跡を望む。 間の畑は堀跡か。 |
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南東隅付近のようす。 堀と土塁跡か。 |
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北西隅、北野神社境内と城地の間の用水路。 堀跡か。 |