水渡田城(みとだ)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 藍原宮内
 遺構  : 曲輪、堀、土塁
 交通  : 両津市街からバスに乗り、
      「旭局前」下車徒歩5分


       <沿革>
           吉井城主藍原氏の一族藍原宮内の居城とされる。佐渡藍原氏は河原田本間氏の
          家臣で、本間氏と同じく武蔵七党の1つ横山党庶流の藍原氏(粟飯原氏)の出身と
          される。
           天正十七年(1589)に上杉景勝が佐渡平定の軍を起こすと、宮内は吉井城主藍原
          秀氏とともに河原田城救援に向かい、直江兼続らと戦って敗北した。同年に佐渡が
          平定された際に廃城になったと推測されるが、『日本城郭大系』によれば、『剛安寺
          文書』に「水渡田・中島地頭乱世故天正十三年吉井本城引取云々」とあり、1585年
          時点で、水渡田城を廃して吉井に移住していた可能性を示唆している。


       <手記>
           水渡田集落の南西端に細く突き出た舌状台地が水渡田城跡です。前後2郭から
          成り、その間の堀跡は切通しの生活道路となっています。道路脇には水が溜まって
          いて、当時の名残と思われます。
           先端側が主郭と思われますが、藪が激しく、少なくとも夏場は立ち入れそうにあり
          ませんでした。付け根側の第2郭は民家となっていて、やはり立ち入ることはできま
          せん。現況では、外面と堀跡を眺めるのみです。

           
 主郭外観。
第2郭を望む。 
 曲輪間の堀跡。
同上。 


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