佐枝氏館(さえだし)
 別称  : 若狭守館
 分類  : 平城
 築城者: 佐枝氏
 遺構  : 土塁、虎口跡か
 交通  : 東武野田線岩槻駅徒歩20分


       <沿革>
           館跡に建つ龍門寺は、天文十九年(1550)に北条家臣佐枝若狭守秀成が自身の居館敷地内に
          開山したものと伝わる。寺にある「開基之碑」によれば、佐枝氏は宇多源氏佐々木氏流とあるが、
          詳しい系譜は定かでない。ちなみに、元荒川を遡った菖蒲城には菖蒲佐々木氏があったが、両者
          に関連があるのかも不明である。
           天正十八年(1590)の小田原の役で北条氏が滅ぶと、佐枝氏は代わって入国した徳川家康に
          仕え、江戸時代には尾張藩の家臣として存続した。佐枝氏館がいつ廃されたのかは定かでない。


       <手記>
           佐枝氏館跡の龍門寺は元荒川の河岸上にあり、岩槻城の外郭の守りを担っていたことは容易
          に推察できます。佐枝若狭守が寺を建立した天文十九年は、岩槻(岩付)城主太田資正が北条
          氏に降ってから数年経ったころで、佐枝氏が北条氏から派遣された目付のようなものだったのか、
          それとももともと太田氏に仕えていたのかは、議論の余地があろうかと思われます。
           他の城館サイトさまを見ていると、境内立ち入りが禁止されているかのような記載が多く見られ
          ましたが、私が訪れた時には酔客の進入を固く断る立札はあったものの、参拝自体はとくに禁じ
          られているようすはありませんでした。
           境内の南辺に立派な土塁が残り、とくに南東隅には直角の折れと、虎口跡のような開口部が
          認められます。また、西辺にも土塁らしき高まりがあるのですが、こちらは明確に遺構とは確信
          が持てない感じでした。
           岩槻城の主城域が消滅しているなか、貴重な現存遺構と思いますので、龍門寺さまには今後
          もぜひこのままの姿での保存をお願いしたいところです。

           
 龍門寺本堂。
南辺の土塁。 
 
 南辺の土塁南東隅。
虎口状開口部。 
 西辺の土塁状土盛り。
同上。 


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