桜町中将城(さくらまちちゅうじょう)
 別称  : 桜町館
 分類  : 平山城
 築城者: 織田信雄か
 遺構  : 土塁、堀、虎口
 交通  : 近鉄大阪線美旗駅徒歩25分


       <沿革>
           天正九年(1581)九月の第二次天正伊賀の乱を経て伊賀国が織田氏に平定されると、
          同国の大半を与えられた織田信長の次男北畠信意(後の織田信雄)によって、支配の
          拠点として築かれたとされる。桜町中将とは、官途と京の在所にちなんだ信雄の別称で
          ある。同年十月十二日には、信長自身が伊賀を巡検し、「小波多」にも立ち寄ったことが
          『信長公記』に記されており、桜町中将城で休息したものと考えられている。
           伊賀の実質的な統治は信雄重臣の滝川三郎兵衛(雄利)に任せられ、北西向かいの
          滝川氏城と共に、桜町中将城は南伊賀支配の拠点城となったものと推測される。天正
          十二年(1584)の小牧・長久手の戦いにより信雄が伊賀を失うときまでに廃城となった
          と思われるが、詳しい経緯は不明である。


       <手記>
           滝川氏城との間の谷戸道を上がり、酒屋の角を右に折れるとほどなく、桜町中将城へ
          通じる畑の脇道があります。進んだ先には主郭の北西隅の土塁と堀が現れ、史跡として
          の整備はされていませんが、植樹林なので自由に歩いて見学できます。車の場合は、
          滝川氏城北側の駐車場に停めて歩くのが一番かと思います。
           桜町中将城は、方形の主郭の外側に、もう1〜2郭を増強したといった感じの構造です。
          おそらく、もともとあった郷士の伊賀式城館を取り立てて拡張したのでしょう。『信長公記』
          には「小波多氏」の存在が記されており、あるいはその居城であったとも考えられます。
           また、主郭の北側には、土塁と堀で囲まれた小区画があります。それ自体は防御の用
          に立つとは思えず、櫓台ないし守護神か何かを祀った跡と見るのが妥当でしょう。主郭の
          東側には仕切り土塁とごく浅い溝状の堀跡があり、こちらも曲輪というより区画といった
          感じです。
           桜町中将城は主郭も広いとはいえず、滝川氏城が伊賀国内の他の城館と比べてかなり
          広大であるのと比べると対照的です。桜町中将城については、前述のとおり既存の城館
          を取り立てたものとみていますが、滝川氏城についてはおそらく伊賀平定後の新規築城
          でしょう。信長公をお迎えするのには、主郭の狭小な桜町中将城よりも滝川氏城の方が
          明らかに相応しいと思われ、平定から1か月の間にあるていど普請が進んでいたのなら、
          「小波多」で信長が立ち寄ったのは滝川氏城ではないかと、私見ながら考えています。

 主郭西辺の堀と土塁。
主郭北西隅の堀と土塁。 
 南西隅の堀と土塁。
主郭南側の曲輪の虎口跡。 
 主郭の虎口。
主郭のようす。 
 主郭東辺の空堀。
主郭東側の曲輪にある仕切り状の土塁と堀跡。 
 主郭北東隅の堀と土塁。
主郭北側の小区画の土塁。 
 同小区画のようす。
主郭北側の曲輪の空堀。 


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