桜中村城(さくらなかむら)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 山口教房か
 遺構  : なし
 交通  : 名鉄名古屋本線桜駅または地下鉄桜通線
      桜本町駅・鶴里駅徒歩7分


       <沿革>
           周防大内氏の一族とされる山口教房が居城としていたが、築城の経緯は不明である。教房は
          寺部城主山口盛重の従兄弟とされ、織田信秀に従っていた。
           教房の子教継は信秀から鳴海城を任されていたが、信秀が没して信長が跡を継ぐと、城ごと
          今川氏に寝返った。子の教吉に鳴海城を預けると、教継自身は桜中村城に籠もって信長軍を
          迎え撃った。天文二十一年(1552)、信長が800の兵で出撃したところ、鳴海城の北の赤塚で
          教吉勢1500と遭遇し、戦闘となったが決着はつかなかった(赤塚の戦い)。
           永禄三年(1560)の桶狭間の戦いに先立って、教継・教吉父子は再び織田方に転じたとする
          信長の偽情報を信じた今川義元により、駿府に呼び出されて切腹を命じられた。桜中村城の
          その後については定かでない。


       <手記>
           元桜田町2丁目の桜公園付近が桜中村城跡とされています。ただし、今昔マップを参照する
          と、公園のある場所は明治時代には谷戸の溜池だったようで、現在も周囲より一段低くなって
          います。そのため、公園=城跡である可能性は低いでしょう。
           溜池の北西と南東には、池に向かって突き出た地形があったようで、桜中村城はこのどちら
          かを利用したものではないかと推測されます。直感的には、南東側の方が蓋然性が高いように
          思いますが、どちらも住宅街となっていて確かめようがありません。

           
 桜公園。
公園南東の微高地。 
実際の城跡はこちらか。 


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