原の城(はら)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: 下田長尾氏か
 遺構  : 曲輪、土塁、堀
 交通  : JR信越本線・弥彦線東三条駅からバスに
      乗り、「下田庁舎前」下車徒歩30分


       <沿革>
           下田郷の高城を本拠とする下田長尾氏によって、出城として築かれたとみられるが、詳しい
          築城の経緯は不明である。
           永禄十一年(1568)、上杉輝虎(謙信)と対立した高城城主長尾藤景は、輝虎の命を受けた
          本庄繁長により弟の景治とともに誘殺された。報せを受けた家老の長尾興里は、高城および
          原の城の守りを固めさせた。栃尾城主本庄実乃が人面峠から下田郷へ攻め入ると、原の城
          の将兵は籠城して孤軍奮闘したが、衆寡敵せず玉砕したとされる。まもなく高城も落ち、下田
          長尾氏の滅亡とともに、原の城も廃城となったものと推測される。


       <手記>
           栄雲寺の背後に伸びる小高い峰が、原の城跡です。墓地の奥から遊歩道が伸びていて、
          主郭部は園地として整備されています。尾根先から登るのですが尾根筋にはわずかながら
          腰曲輪が階段状に並んでいたような痕跡がみられ、また主郭の前方にはごく浅い堀切跡が
          認められます。
           主郭には四阿などもあり、眺望もなかなかです。背部と西辺に石碑や標柱の基壇となって
          いる土盛りがあり、土塁跡とみられますが断言まではできません。主郭の背後にも、だいぶ
          埋まっていますが堀切跡が見受けられます。
           全体として規模は小さいものの、細く突き出た峰という地形をうまく利用した城砦といえるで
          しょう。桜の木も多く植わっているようで、春には兵どもが夢の跡といった美しい花の景色に
          なるものと思われます。

           
 原の城跡を望む(鉄塔の手前)。
栄雲寺脇の説明板。 
 墓地奥の登城口。
遊歩道はまず城峰西下の谷筋に出ます。 
 ここを右手に折れて尾根筋を登ります。 
 尾根筋の曲輪跡群らしき地形。
主郭前方の堀切跡。 
 同堀切を上から。
主郭のようす。 
 同上。
主郭からの眺望。 
 主郭西辺の土塁状土盛り。
主郭背後の土塁状地形。 
 同土塁状地形の背後。
主郭背後の堀切跡。 


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