栃尾城(とちお)
 別称  : 舞鶴城、大野城
 分類  : 山城
 築城者: 芳賀禅可か
 遺構  : 曲輪、石垣、土塁、堀、櫓台、虎口、水の手
 交通  : JR長岡駅からバスに乗り、
      「中央公園前」下車徒歩20分


       <沿革>
           正平年間(1346〜70)ごろ、越後守護宇都宮氏綱の重臣で守護代を務めた芳賀禅可によって
          築かれたと伝わる。正平十七/貞治元年(1362)に上杉憲顕が越後守護に返り咲くと、いずれか
          の時期より守護代長尾氏の被官本庄氏が城主となった。栃尾本庄氏は、秩父平氏流の揚北衆
          本庄氏の一族と推測されるが、確証はなく系譜は明らかでない。
           本庄慶長の子実乃(慶秀)は、長尾晴景の弟景虎が元服して古志郡司に任じられると、栃尾城
          に迎えて補佐した。天文十三年(1544)、景虎を若輩と侮った近隣の豪族が栃尾城に攻め寄せる
          と、景虎は兵を二手に分け、前後から襲わせて大勝したとされる(栃尾城の戦い)。翌天文十四年
          (1545)には、黒滝城に黒田秀忠を攻め降すなど、景虎は長尾家中で存在感を高めていったが、
          景虎(後の上杉謙信)の将器大成は実乃によるところが大きかったといわれる。
           天文十七年(1548)に、晴景が隠居して景虎が守護代長尾家の家督を継ぐと、実乃は最側近の
          一人となった。しかし、弘治二年(1556)には実乃と大熊朝秀の主導権争いが景虎の出家騒動を
          招くなど、増長気味の行動もみられる。
           天正六年(1578)に謙信が没して御館の乱が勃発すると、実乃の子秀綱は上杉景虎方に加担
          した。翌七年(1579)に景虎が自害した後も、三条城主の神余親綱らとともに上杉景勝に抵抗を
          続けたが、栃尾城が翌八年(1580)四月二十二日に陥落すると会津へ逃れた。その後は番城制
          がとられたとみられるが、栃尾城の詳しい扱いは定かでない。
           慶長三年(1598)に上杉家が会津へ転封となり、代わって堀秀治が入ると、家臣・神子田政友
          が1万石で栃尾城主となったとされる。同十五年(1610)に堀家が改易となると、栃尾城も廃城と
          なった。


       <手記>
           栃尾の市街地を見下ろす鶴城山が、栃尾城跡です。車であれば本丸西下の谷筋まで登ること
          ができ、駐車場も完備されています。そこからなら主城域まで徒歩10分足らずですが、千人溜り
          など中腹部の曲輪群へは、いったん下りることになります。
           駐車場からの山道を登った先は本丸と二の丸の間の鞍部で、そこから南西方面へ進むと、2条
          の堀切の先に馬繋ぎ場と呼ばれる小ピークの曲輪に出ます。この曲輪は頂部が土塁線となって
          いて、その背後は堀切で断絶されていることから、実質的な主城域の最後尾でしょう。その先へ
          尾根筋をさらに行くと、2又に分かれているピークに狼煙台と呼ばれる削平地がありますが、造作
          ははっきりとしていません。
           鞍部へ戻りまして、本丸と二の丸はおそらく元から2峰に分かれていて、それぞれ一定の独立性
          があります。本丸は樹木が整理されていて眺望がすばらしく、西側には石垣があるようなのです
          が、そちら斜面は藪化していて見られませんでした。
           本丸の北は、まず2条の堀切を経て松の丸があります。松の丸の櫓台状土壇の背後には城内
          で最大の見どころの1つであるはずの大堀切があり、中腹の千人溜りまで竪堀として落ち込んで
          います。ただ、肝心の竪堀部分は藪や倒木等に覆われていて、残念ながらはっきりとは見られま
          せんでした。大堀切の向こうが三の丸で、その先は2条の堀切に挟まれた五島丸があります。
           今一度鞍部に戻り東側へ下りると、本丸の直下に水の手の金銘泉が残っています。さらに下る
          と緩やかで広めの裾野に階段状の曲輪が続き、やがて空堀を経て千人溜りに出ます。この空堀
          も規模が大きく、前述のとおり松の丸の大堀切と繋がっているはずなのですが、こちらからもその
          雄姿ははっきりとは拝めませんでした。整備されれば遺構の目玉となるはずなのですが、やはり
          容易ではないということでしょうか。
           さて、栃尾といえば大きくて厚い「栃尾のあぶらげ」が名物です。城下町には、誘導員までいる
          流行りの店から、ひっそりと営業する穴場までいくつもの専門店があります。私はせっかくなので
          4軒ほど回って購入し、食べ比べをしてみたのですが、やはりそれぞれに特徴と違いがあります。
          私の個人的なお気に入りは、ご夫婦が店内で揚げている小ぢんまりとした「佐野豆腐店」です^^

           
 栃尾城跡を望む。
本丸西下の登城口。 
 二の丸背後の堀切。
琵琶丸背後の堀切。 
 馬繋ぎ場跡と土塁線。
 現地では「狼煙台詰郭」となっています。
馬繋ぎ場背後の堀切。 
実質的な主城域最後尾か。 
 堀切向こうの塚状地形。
狼煙台を望む。 
 狼煙台跡。
二の丸の腰曲輪群。 
 二の丸。
同上。 
 二の丸側から本丸を望む。
本丸のようす。 
 同上。
本丸からの眺望。 
 本丸北側1条目の堀切。
同じく2条目。 
 松の丸を望む。
松の丸。 
 丸の丸背後の大堀切。
堀切から竪堀に続くところ。 
 三の丸跡。
三の丸から松の丸を望む。 
 三の丸背後の堀切。
五島丸跡。 
 五島丸背後の堀切。
本丸東下の階段状腰曲輪。 
 金銘泉。
中腹の階段状曲輪群。 
 千人溜りと馬洗い池(奥)。
千人溜りから空堀越しに曲輪群方面を見上げる。 
 千人溜りの大空堀。
 松の丸背後の大堀切に繋がっています。


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