三稜郭(さんりょうかく) | |
別称 : 伝三稜郭 | |
分類 : 砲台 | |
築城者: 旧幕府軍 | |
遺構 : 土塁か | |
交通 : 「昭和」バス停下車 | |
<沿革> 古絵図に三角形の陣屋が記されているとされるが、文書による史料にはみられない。 <手記> 三稜郭の実在については確認されていません。古い絵図に三角形の施設が描かれて いるというのが、唯一の手がかりということです。私自身はその絵図を目にしたことがない のでなんともいえませんが、下向きの縦に長い二等辺三角形のような形状のようです。 場所についてもいくつか説があるそうでうすが、今のところ実在したとすれば箱館本線 沿いの桔梗町交差点北東に鎮座する比遅里神社境内が有力視されているそうです。驚く べきは、この場所を特定したのは地元の函館北高校郷土研究部の高校生で、2000年代 初めのことなのだそうです。 たしかに現在の神社境内は南向きに細長い台地の先端にあり、三稜郭の形状を満た しているといえます。ただ、昔からの地形なのかどうかは定かではありません。境内には 小さな土俵のような土台があり、その周囲を方形の低い土盛りが巡っています。パッと 見は「遺構?」と思うような地形ですが、稜堡とみるにはあまりにも狭いように感じます。 選地についても、神社の南東を石川が流れているのが気にかかります。四稜郭と同様 五稜郭の支塞とするなら、想定される敵は北西からやってくるはずです。とすれば、城砦 を築くなら川の南東側の方が自然です。比遅里神社では予想攻撃方面が最大の弱点と なっているため、ここに稜堡式城塞があったとするにはまだ留保が必要なように感じます。 他方で、箱館戦争以前から五稜郭の出張所のような政治施設があったとすれば、話は 変わってきます。そこまで防御力が必要ではない陣屋程度の施設があり、旧幕府軍が 五稜郭占領からあまり時間がないなかで新政府軍に対する防衛線を構築するために、 すでにあった三角形の出先機関に少し手を加えて臨時の砲台に仕立てた、という可能性 も考えられなくはないように思います。 ともあれ、現時点ではあったともなかったともいえない要塞跡と言うよりありません。 |
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比定地の比遅里神社。 | |
境内の土盛りに囲まれたスペース。 |