池戸城(いけのべ) | |
別称 : 中城 | |
分類 : 平城 | |
築城者: 安富氏か | |
遺構 : なし | |
交通 : 琴電長尾線池戸駅徒歩1分 | |
<沿革> 『讃陽古城記』の三木郡の項に、「三木池戸村中城跡 安富端城也 後ニ山地九郎右衛門 居之 山地之先祖者 山地右京進 詫間ノ城ノ城主ニシテ 三野多度豊田三郡之旗頭ノ由」と ある。三野郡詫間城主山地右京進は香川氏の家臣で、『瀬戸内海地域社会と織田権力』 によれば、山地九郎右衛門は天正十一年(1583)の香川信景の感状に見える「山地九郎 左衛門」の誤記と考えられている。 これらの記述から、池戸城は安富氏によって築かれ、後に山地九郎左衛門が入城したと 考えられる。また、池戸城のすぐ南には、十河氏が築いたとされる大塚城があることから、 戦国時代後期に十河氏が讃岐の最大勢力となる過程で、少なくとも安富氏の手は離れて いたのではないかと推測される。また、西讃の香川氏の勢力がにわかにここまで伸長する とは考えにくく、九郎左衛門が感状を得たのが天正十一年ということから、香川氏の降った 長宗我部元親の讃岐侵攻に際して、山地氏が池戸に配されたものと推察される。 <手記> 『日本城郭大系』によると、西徳寺の東側に堀跡があり、ここが城の南西隅にあたるそう です。また、北西隅にも堀跡があったということですが、どうもこれらの遺構はすべて宅地 開発によって失われてしまったようです。 西徳寺から北に向かい、東に折れる道路脇には、少し幅のある水路が流れています。 あるいは、これが北辺の堀の名残とも思われますが、現状ではなんとも言えません。この 道路に車を幅寄せして停めて歩こうとしたのですが、ちょっと城の中心部を撮影したところ で対向車が来てしまいました。横を通り抜けられない感じではなかったのですが、どくまで 待とうホトトギスといった体でじっと動かないでいたので、バツが悪くなってしまいそそくさ と撤収を余儀なくされました。 |
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池戸城跡中心部現況。 |