佐世城(させ)
 別称  : 金剛山城
 分類  : 平山城
 築城者: 佐世清信か
 遺構  : 曲輪跡、土塁、井戸跡
 交通  : JR木次線出雲大東駅徒歩25分


       <沿革>
           国人・佐世氏累代の居城とされる。佐世氏は出雲守護・佐々木泰清の子・湯頼清の子・清信が
          大原郡佐世郷に入植したことにはじまる。佐世城も清信によって築かれたといわれるが、確証は
          ない。
           戦国時代に尼子氏が戦国大名化すると、佐世清宗はその家老衆に加わって12万石を領したと
          いわれる。永禄八年(1565)に毛利元就が尼子氏の居城・月山富田城を攻囲すると、清宗も籠城
          したが、同年冬に城を出て毛利氏に降伏した。
           降将でありながら、清宗および子の正勝・元嘉兄弟は毛利氏から破格の待遇を受けたとされる。
          しかし、佐世領はいったん没収されたようで、正勝は小早川隆景麾下の将として活躍した後、文禄
          三年(1594)に改めて佐世郷を与えられている。
           慶長五年(1600)の関ヶ原の戦いで毛利家が防長2国に減封となるまでに、佐世城は廃されたと
          考えられるが、詳しい経緯は定かでない。正勝は翌六年(1601)に佐世で没し、佐世氏は元嘉の
          子・元量が継いで毛利家臣として続いた。子孫の一人に、萩の乱の首謀者である前原一誠(父は
          佐世彦七)がいる。


       <手記>
           佐世郷は赤川の支流・佐世川の中流域に広がる静かでゆったりとした山里です。佐世城はその
          丘陵地帯の一端に築かれていますが、とくに険しいというわけでも大きな山でもありません。北側
          中腹に城山公園となっていて、駐車スペースもあります。
           城内も公園化されていて、物見櫓や井戸跡など標識がところどころ設けられているものの、遺構
          の残存状況は決して良いとはいえません。主郭からは佐世郷を見渡すことができ、背後は自然の
          谷を割り広げた深い堀切となっています。
           12万石は誇張に過ぎるとしても、尼子家中でトップクラスの勢力を誇った佐世氏の居城にしては、
          周囲に支城が点在していたとしても随分と小ぢんまりしているように感じました。あるいは佐世川の
          上流に、もう一つ詰城があったのかもしれません。

 佐世城跡全景。
侍屋敷跡。 
 物見櫓跡。
副郭跡。 
 城址碑。
副郭の井戸跡標識。 
どこを指すのかは分かりませんでした。 
 主郭のようす。
主郭からの眺望。 
 主郭背後の自然谷を割り広げた堀切。


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