次郎兵衛屋敷(じろうべえ)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 関根新十郎か
 遺構  : なし
 交通  : 東武伊勢崎線・野田線春日部駅徒歩10分


       <沿革>
           『日本城郭大系』によれば、武田家臣で多田源氏の末裔を称する多田新十郎は、
          後に岩付城主太田資正に仕えた。資正の嫡男氏資が父を追放して北条氏に臣従
          すると、新十郎も北条家臣となった。永禄十二年(1569)の武田との戦いで戦功を
          あげた新十郎は北条氏政から感状を拝領し、その後姓を関根に改めたとされる。
           他方で『新編武蔵国風土記稿』によれば、岩付太田氏が上杉謙信に従っていた
          ころ(すなわち資正が岩付城主のとき)、抜群のはたらきを見せた太田家臣数名に
          「関東根元」を縮めた「関根」の姓を与えたとされ、多田新十郎もそのうちの1人と
          みる向きもある。
           いずれにせよ、「次郎兵衛」が新十郎と同一人物なのかどうかは定かでない。
          天正十八年(1590)の小田原の役で北条氏が滅ぶと、関根氏は粕壁宿の名主を
          代々務めた。


       <手記>
           大落古利根川沿いの、多田時計店から碇神社の周辺一帯が次郎兵衛屋敷跡と
          されています。多田時計店には件の感状が伝わっているということですが、関根姓
          から多田に復姓したということでしょうか。
           一方の碇神社には、可愛らしい狛犬と樹齢600年超というイヌグスの古木がある
          ほか、とくに館跡らしきものは見当たりません。海のない埼玉県にあって「碇」神社
          というあたり、関根氏は古利根川の水運に携わっていたのではないかという推測
          が容易になりたつでしょう。
           多田氏がいつ関根に改姓したのかは定かではありませんが、「関東根元」の略
          で関根姓を賜ったなどというのは、ちょっと無理があるように思います。埼玉近辺
          には「関根」という地名や名字は少なくないようで、次郎兵衛屋敷のすぐ近くには
          多田氏より古くから住していたと思われる関根氏の九兵衛屋敷があったとされて
          います。九兵衛屋敷の戦国期の当主である関根図書助は、一説には天正十六年
          (1588)に死亡したとされており、あるいは新十郎はこの関根氏の跡を継いだもの
          とも考えられます。
           余談ですが、春日部といえば大塚家具発祥の地としても高名。次郎兵衛屋敷跡
          のすぐ脇には、お家騒動の後にパパが設立した「匠大塚」の立派なビルが建って
          います。横をあるくだけで、ちょっとした観光気分になれますよ(笑)。

           
 次郎兵衛屋敷跡周辺を望む。
碇神社。 
 
 屋敷跡前のちょっと風情ある橋。


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