島倉山館(しまくらやま) | |
別称 : なし | |
分類 : 山城 | |
築城者: 岩崎氏 | |
遺構 : 曲輪、堀 | |
交通 : JR常磐線湯本駅からバスに乗り、 「船尾住宅」下車徒歩25分 |
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<沿革> 岩城氏一門岩崎氏の居城とされる。岩城氏は平安末期の海道平氏平隆行(成衡)を祖とし、 隆衡が岩城郡を相続したことにはじまる。このとき、岩崎郡を与えられた三男隆久が、岩崎氏 の初代となる。したがって岩崎氏は、もともと岩城氏とは相互に独立した関係にあったものと 推測される。島倉山館がいつごろ築かれたのかは定かでない。 鎌倉〜南北朝時代にかけての島崎氏の動向についても、詳らかではない。ただ、1390年代 から1400年代初めごろにかけて、岩城氏が一族内で相争っているなか、岩崎氏もまた勢力を 保持していたとされる。やがて、岩城氏庶流白土氏出身の岩城隆忠が内紛を制して岩城氏を まとめると、岩崎隆綱は隆忠によって、応永十七年(1410)に攻め滅ぼされた。 その後、岩崎氏は岩城氏の一族が継承したともいわれるが、その場合、岩城氏系岩崎氏の 居城は島倉山館ではなく、後に岩城宗家の居城となる大館城であったとされる。島倉山館は 応永十七年に廃されたとみられるが、確証はない。 <手記> 藤原川に臨む山の上が島倉館跡とされています。三角点から南東に伸びる峰の先に牛頭 天王社があり、そこに城址碑があるというので、南東麓から目指すことにしました。参道入口 には赤い鳥居があるのですが、その背後は崖になっていて、ロープにつかまって登るように なっています。崖自体は普通に登れそうなのですが、問題はその先で、避けようのない隘路 にびっしりと、ひっつき虫の代表旗手センダングサの群生が待ち構えていました…。後処理が 大変なだけなので、行けないこともなかったでしょうが、種子を取り除く労力と、その先がド藪 でない保証はなかったのとで断念しました。真冬や春先であればチャレンジできたでしょうが、 心残りではありました。南麓には堀ノ内の字があり、居館跡と思われますが、現況は住宅と 畑です。 ネットの情報では、北東麓の地蔵堂から登るルートもあるとのことでしたが、こちらも入口が わからず、結局今回は登れずじまいでした。遺構に乏しいというレビューも見ましたが、戦国 時代以前に廃城となったのであれば、あまり大規模な造作はなかったかもしれません。 |
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字堀ノ内と島倉山館の城山。 | |
牛頭天王社参道の鳥居。 |