飯田館(いいだ)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 飯田家義か
 遺構  : なし
 交通  : JR東海道本線清水駅からバスに乗り、
      「秋吉町」下車徒歩5分


       <沿革>
           静岡県の遺跡地図に、飯田五郎父子の館跡推定地として記載がある。飯田五郎家義は
          秩父平氏流渋谷重国の子で、相模国鎌倉郡飯田郷を本貫とする。石橋山の戦いで平家方
          に属するも源頼朝を見逃し、富士川の戦い以降は源氏方として活躍した。
           正治二年(1200)に北条義時の命を受けた家義は駿河国狐崎で梶原景時一行を討ち、
          その功により駿河国大岡荘(現・沼津市)の地頭職を与えられた。したがって、家義が当地
          に所領を得た記録はなく、また家義以降の飯田氏についても不明である。


       <手記>
           清水区八坂東の眞福寺一帯が飯田館跡と推定されていますが、確証はないようです。
          眞福寺は立派な寺院ですが、周辺は市街地化しており、遺構らしきものは見られません。
          国土地理院地図の古い航空写真を見ると、眞福寺境内は館跡とも見えるきれいな方形を
          していたようですが、鎌倉初期の館なのでそのまま残っている可能性は低いでしょう。
           そもそも、上述の通り飯田氏がこの地に所領や館を持っていたという史料はありません。
          西方に飯田町があり、付近が吉川氏らと共に梶原景時一行を討ち取った故地であるという
          ことからの単純な付会ではないかと推測されます。

           

飯田館比定地とされる眞福寺。


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