下手渡陣屋(しもてど)
 別称  : 下手渡藩陣屋、天平館
 分類  : 陣屋
 築城者: 立花種善
 遺構  : 石垣、門跡、削平地、井戸
 交通  : 福島駅からバスに乗り、「下手渡」
      下車徒歩20分


       <沿革>
           初代柳川藩主立花宗茂の実弟・立花(高橋)直次にはじまる三池藩は、6代種周が若年寄に
          就任したものの、将軍将軍徳川家斉を支持して松平定信らとの政争に敗れて失脚した。種周は
          隠居を命じられ、跡を継いだ4男の種善は文化三年(1806)に陸奥国伊達郡1万石への懲罰的
          転封を言い渡され、下手渡に新しく陣屋を設けた。
           種善の甥にあたる3代種恭は、佐幕派として慶応四年(1866)に老中格まで昇進した。しかし、
          明治元年(1868)の戊辰戦争に際して、所領の約半分があった九州・三池の藩士が新政府軍
          に属したため、同年八月十六日には奥羽越列藩同盟の仙台藩兵により下手渡陣屋が焼き討ち
          された。種恭は藩庁を三池へ移し、下手渡陣屋が復興されることはなかった。


       <手記>
           下手渡陣屋は広瀬川流域を広く見渡すことのできる緩やかな山裾に築かれています。要害性
          はほとんどありませんが、平和な時代の為政の府としてならば絶好の立地といえるでしょう。
           陣屋の主殿跡は民家となっていますが、その脇には石碑や説明板などが建ち、駐車スペース
          も充分にあります。複数ある説明板には「昔の面影を偲ぶ何ものもありません」から石垣が残る
          とするものまで評価にばらつきがありあすが、ある程度経験のある城跡ファンなら容易に痕跡を
          見つけられるので、惑わされずに踏査しましょう。
           もっとも見るべきは表門跡と、その脇の石垣跡と思われます。その先には旧道が延びていて、
          1段下にも広めの削平地があります。石碑のある広場からは陣屋跡をくるっと回れる踏み分け道
          のコースがあり、表門跡から北へスライドすると、旧領の縁に太鼓櫓の石垣跡も残っています。
          ここは陣屋跡で眺望が一番優れているところでもあり、川向うに小字「町」を俯瞰できるポイント
          です。陣屋の南方にも西町や東町といった小字があるようで、根古屋兼町場が広がっていたの
          でしょう。
           広場に戻って東へ遡ると、やはり陣屋の遺構とされる御前井戸があります。現地説明板を見る
          と、陣屋の敷地には多くの井戸があったようですが、「御前」と付くうえに陣屋の上手にあること
          から、この御前井戸はとくに藩主の身の回りに近い水源であったものと推察されます。

           
 陣屋跡の石碑や説明板のある広場。
表門跡。 
 表門跡脇の石垣。
同上。 
 同上。
表門から城下へ向かう旧道。 
 旧道を1段下りたところにある平場。
太鼓櫓の石垣跡。 
 太鼓櫓跡から城下を俯瞰。
御前井戸。 


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