下津城(しもづ)
 別称  : 下津氏館
 分類  : 平城
 築城者: 下津氏
 遺構  : なし
 交通  : 京阪電鉄淀駅徒歩15分


       <沿革>
           西岡衆のひとり下津氏の居城とされる。織田信長の上洛後、下津氏は西岡に所領を与え
          られた細川藤孝に従った。天正元年(1573)、三好三人衆の岩成友通が槇島城で決起した
          足利義昭に呼応して淀城に籠り、藤孝軍がこれを攻めた際、下津権内一通が友通と組打ち
          となって濠に転落し、水中で友通を討ち取ったとされる。権内は同五年(1577)の雑賀攻め
          にも参加し、功をあげて信長に称されたことが『信長公記』に記されている。
           その後の下津氏および下津城については不明である。


       <手記>
           下津城址は桂川右岸流域下水道洛西浄化センターの敷地となっていて、遺構は完全に
          消滅しています。城址一帯の地階部分にある浄水場や、ポンプ場の真上に広大な2階部分
          の覆屋が建設され、その屋上は洛西浄化センター公園(通称「アクアパルコ洛西」)という、
          緑とスポーツの空間となっています。その風景は、城跡はもちろんのこと、ここが下水処理
          施設の上であることをも忘れてしまうくらい爽やかです。

           


下津城址周辺現況(アクアパルコ洛西)。


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