下浦館(しもうら) | |
別称 : なし | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 下浦氏 | |
遺構 : 削平地、土塁、堀、虎口跡 | |
交通 : JR常磐線桃内駅徒歩25分 | |
<沿革> 標葉七人衆ないし標葉六騎の1つ下浦氏の居館とされる。標葉六騎七人衆に ついては、海道平氏の後裔で標葉郡主の標葉氏一族とされるが、詳しい系譜は 定かでない。標葉氏は、明応元年(1492)に相馬盛胤によって攻め滅ぼされた が、下浦氏および下浦館のその後についても不詳である。 <手記> 下浦館は、宮田川右岸の丘陵地帯から突き出た舌状の峰先の城です。対岸 には相馬家重臣青田氏の山沢館があり、相馬・標葉両氏はずっといがみ合って いたわけではないとはいえ、上浦館と並んで最前線の城館であったものとみら れます。 北西麓の道路沿いに、祭壇のように1段高く土が盛られた所があり、そこから 斜面に取りついて直登すると、ちょうど堀切に至ります。この堀の前後2郭から なる小規模な城館で、両曲輪ともド藪というわけではないですが、低木が生い 茂っているため、踏査はたいへん困難です。とりあえず、主郭の北西辺に低い 土塁跡が続いているのは確認できました。 副郭の方は、やはり北西辺を歩いたところ、虎口状の開口部がみられました。 その奥は切岸になっているともつかない緩斜面で、堀の造作も見られず、拍子 抜けするほど手薄な感じでした。 総じて規模としては小さく、これで前線の守りの用が足りたのか訝しくなって しまうほどです。当時のようすを鑑みるに、宮田川沿いはかなりの低湿地で、 おそらく一足飛びに奇襲をかける、というわけにはいかなかったのかなと推察 されます。 |
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山沢館跡から下浦館跡を望む。 | |
ここから斜面に取りつきます。 | |
その上の堀切。 | |
主郭側の堀切上の土塁。 | |
主郭のようす。 | |
主郭北西辺の土塁跡。 | |
副郭のようす。 | |
副郭の虎口状地形。 |