山沢館(やまさわ) | |
別称 : 耳谷館 | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 青田孫左衛門 | |
遺構 : 削平地、土塁、堀 | |
交通 : JR常磐線桃内駅徒歩15分 | |
<沿革> 相馬家重臣青田氏の居館とされる。青田氏の出自は詳らかでないが、元享三年 (1323)に相馬重胤が奥州へ下向した際、青田孫左衛門がこれに同行し、山沢に 館を築いて住んだとされる。 永禄六年(1563)、青田信濃守顕治は相馬家重臣として黒木城代を務めていた が、中村城代草野式部直清とともに伊達氏に通じ、謀反を起こした。直清は相馬 盛胤に攻められて討ち死にし、顕治とその子胤治らは中村城に立て籠もったもの の、敗れて三春の田村氏を頼り落ち延びた。胤治は後に帰参を赦されたが、耳谷 に戻ることはなかったとみられる。顕治の謀反によって山沢館は廃されたものとも 考えられるが、詳細は不明である。 <手記> 山沢館は、宮田川沿いの細長い峰を利用した城です。対岸には標葉七人衆の 下浦氏の下浦館や、上浦館と対峙しており、当初は相馬氏の境目の城として機能 していたものと思われます。標葉氏との関係は必ずしもずっと悪かったわけでは ないようですが、それでも前線の城館には違いなく、青田氏の相馬家中における 重要度がうかがえます。 城跡へは、先端麓の公民館裏から階段で登れます。なので苦労はないのです が、階段の幅がとても狭いので、恰幅のよい方は大変かもしれません。登った先 は長く広い平場で、その奥に堀状の段差があります。段差の向こうには小牛田山 神社があり、その裏手が主郭とみられます。 主郭は土塁で囲まれ、その下の副郭奥にも土塁が残っています。土塁の裏は 堀切、というより深い谷になっていて、こちらの切岸が館の最後尾と思われます。 |
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山沢館跡を見上げる。 | |
東端の曲輪。 | |
その奥の堀状の段差。 | |
堀状地形の向こうの小牛田山神社。 | |
主郭のようす。 | |
主郭土塁を副郭から。 | |
副郭奥の土塁。 | |
その向こうの切岸。 |