志那城(しな)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 志那氏か
 遺構  : なし
 交通  : JR東海道本線草津駅よりバス
       「志那口」バス停下車


       <沿革>
           『日本城郭大系』では、志那氏の存在は確認されるものの詳細は不明としている。志那は、
          矢橋や山田と並ぶ琵琶湖の重要な湖港であったため、港を支配した在地領主の城館があった
          ことは想像に難くない。
           戦国時代初期の連歌師山崎宗鑑は、初名を志那範重といい、志那の出身であるといわれる
          (諸説あり)。範重ははじめ将軍足利義尚に仕え、延徳元年(1489)に義尚がで陣没すると、
          近江を去ったといわれる。これが正しければ、宗鑑は元志那城主かその一族であったと推測
          される。
           志那城と志那氏については、このようにほとんど詳細は不明である。志那港と志那街道は、
          対岸の坂本や比叡山との連絡で栄えていたため、信長による比叡山焼き討ち後は、徐々に
          衰退したといわれる。


       <手記>
           志那は、山田や矢橋よりも頭ひとつ分琵琶湖に突き出た場所にあり、すぐ対岸には比叡山
          お膝元の坂本があることから、往時はかなり栄えていたであろうことが想像できます。
           志那城址については、現在その位置も定かではなく、上の地図で示したポイントは滋賀県
          埋蔵文化センターの遺跡マップに記載されている志那城遺跡の場所です。
           すぐ近くの民家の門脇には、家主が自費で建てたと思われる宗鑑屋敷跡の立派な石碑が
          あります。余談ですが、志那をはじめ浜街道沿いの集落は道が広く、子供らが安心して遊び
          まわっていて、とても暮らしやすいように感じられました。

           
 滋賀県埋蔵文化センター遺跡マップに示されている、
 志那城址遺跡地点のようす。
近くのお宅にある宗鑑屋敷跡石碑。 


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