新土塚城(しんどづか) | |
別称 : 荒巻屋敷、荒牧氏館 | |
分類 : 平城 | |
築城者: 新土氏ないし増田氏 | |
遺構 : 空堀、烽火台 | |
交通 : JR両毛線駒形駅徒歩30分 | |
<沿革> 由良氏(横瀬氏)家臣増田繁政の居城とされる。繁政は大胡城代を務めたが、永禄九年 (1566)に上杉輝虎(謙信)に大胡城を攻め落とされた。以降、繁政は新土塚城に戻った ものと思われるが、詳細は不明である。 地元の伝承によれば、もともと新土塚城には新土肥前守という人物がおり、二之宮城主 (姓名不明)と争って敗れたとされる。文殊堂のある丘に肥前守以下家臣を葬ったことから、 新土塚と呼ばれるようになったといわれる。 <手記> 新土塚城は、荒砥川と神沢川の合流地点近くの河岸に築かれた城です。城域の一角に 文殊堂があり、その入り口に城址標柱があります。この文殊堂の丘は、文殊山古墳という 円墳で、『中世城館調査報告書集成』によれば烽火台として利用されていたようです。 東を除く三方は、河岸による自然の要害地形を成しており、残る東側には空堀が設けられ ていました。この堀は、現在も大部分が残っています。かなりの幅と長さをもった堀で、城中 最大の遺構となっています。 新土塚城には、2人の城主が伝わっていますが、新土肥前守については一次史料で存在 が確認できません。存在したとすれば、新土氏は増田氏以前の在地領主だったと考えられ ます。あるいは、伝承にある二之宮城主が増田氏であったとも考えられますが、推測の域を 出るものではありません。 |
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文殊堂入口の新土塚城址標柱。 | |
文殊堂。 | |
東側の空堀。 | |
同上。 |