若山氏館(わやかまし)
 別称  : 塩小路若山城
 分類  : 平城
 築城者: 若山氏
 遺構  : なし
 交通  : 京都駅徒歩5分


       <沿革>
           若山氏の居館とされる。若山氏の出自は不明だが、永正年間(1504〜20)にこの地を
          開発したと伝わる。若山氏は、江戸時代を通じて東塩小路村の庄屋を務めた。幕末の
          当主若山要助の『若山要助日記』は、幕末動乱期の京のようすを伝える貴重な資料と
          なっている。
           戦国期の若山氏の動向については詳らかでないが、天正元年(1573)四月四日の
          織田信長による上京焼き討ちで、東塩小路一帯にも火が放たれている。上京焼き討ち
          は、信長に明確に反旗を翻した足利義昭に対する示威として行われたもので、基本的
          に下京は対象外であった。にもかかわらず焼き討ちに遭っていることから、若山氏は
          当時信長に親義昭派とみられていたとも推測される。このとき、同じく下京郊外にある
          梅小路城周辺(西梅小路村)も焼かれている。


       <手記>
           若山氏館は、京都駅北東すぐのところにあったとされています。東西を高倉通と竹田
          街道とに挟まれ、中央を塩小路通が貫いています。
           駅前ということで、当然ながら市街地化され、遺構や案内等は一切ありません。近年
          までは若山氏の子孫が住んでいたということですが、今ではビルが立ち並んでいます。
           京都駅眼前の繁華な通り沿いに城館跡があるというのも、なんとも面白いというか、
          興味深いですね。ただ、若山氏が入った16世紀初頭には、京は荒れ果て範囲も著しく
          縮小していました。おそらく、若山氏はほとんど入植者として塩小路に居を定め、周辺を
          再開拓したのでしょう。

           


京都駅側から見た若山氏館周辺現況。


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