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志々島城(ししじま) |
別称 : 東出城 | |
分類 : 山城 | |
築城者: 西山氏か | |
遺構 : 削平地、土塁か | |
交通 : 志々島港から徒歩5分 | |
<沿革> 香川家臣西山氏の居城とされる。西山氏について、詳細は不明である。『日本城郭大系』 には志々島の「東出城」として掲載されているが、当城と志々島東城のどちらを指すのかは はっきりしない。 <手記> 志々島は三豊市の沖合に浮かぶ小島で、西に粟島、北に高見島があります。旧詫間町の 宮ノ下港や須田港から粟島汽船のフェリーで行けますが、島内には自動車の通れる道路が なく、車は港に置いていくことになります。島の人口は、私が訪れた時点ですでに15、6名。 島内にはカフェと小さな商店、そして素泊まりのゲストハウスが1軒ずつしかないため、終便を 逃すとたいへんなことになります。 志々島城から東城へかけての尾根には、かつて花卉農家だった方が整備している「天空 の花畑」があり、春には色とりどりの草花が咲いて多くの観光客が訪れるそうです。訪れた時 には、ご主人が手作業で草取りをなさっていました。 当の志々島城跡は字を城山というものの、踏み分け道の外は藪に覆われています。頂部 とその西側に2段の削平地と見えなくもない地形がありますが、確信は持てません。また頂部 の南側には踏み分け道が跨ぐ形で張り出し状の土塁地形がありますが、やはり遺構かどうか は不明です。また頂部の東側も、踊り場状の平場となってます。小島の水軍城全般にいえる ことですが、そもそも島と海をして要害と成しているので、物見程度の城砦といっても機能で 十分だったのでしょう。 ちなみに、志々島を訪れたら城山北西中腹の大楠は必見です。樹齢は推定1000年以上だ そうで、海風に耐えてうねりにうねった枝ぶりの巨木は、まさに神々しいの一言に尽きます。 |
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宮ノ下港へ向かうフェリーから志々島を望む。 画面中央が城山。右端が東城、左手に西城。 |
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港と集落越しに城山を望む。 | |
城山頂部のようす。 | |
同上。 | |
頂部南側の張り出し土塁状地形。 | |
同上。 | |
頂部西側下の削平地。腰曲輪か。 | |
頂部東側の平場。 | |
おまけ:志々島の大楠。 |