ゾンネンベルク城
(Burg Sonnenberg)
 別称  : ニュツィダース城
 分類  : 平山城(Höhenburg)
 築城者: モーントフォルト家か
 交通  : ニュツィダース駅から徒歩20分
 地図  :(Google マップ


       <沿革>
           1258年にモーントフォルト伯が所領を分割し、ヴェルデンベルク=ザルガンス伯がニュツィダースを
          領するより以前に築かれたとみられるが、詳しい経緯は不明である。また城代としてニュツィダース
          家があったされるが、その出自は明らかでない。
           15世紀初頭のアッペンツェル戦争において、クール司教でもあったハルトマン・フォン・ヴェルデン
          ベルク=ザルガンスはオーストリア公フリードリヒ4世と対立し、その争いのなかでニュツィダース城は
          焼失した。1412年、ハルトマンは城を再建してゾンネンベルク城と改名し、1416年にこの城で死去
          した。1455年、ゾンネンベルク城はフェルトキルヒを預かっていた神聖ローマ帝国の内膳正エーベル
          ハルト・フォン・ヴァルトブルクに売却された。
           エーベルハルトの子アンドレアスはフォン・ゾンネンベルクを称したが、1472年にオーストリア大公
          ジークムントの下士であるブルーデンツ市民に重傷を負わせた。チロル伯でもあったジークムントは
          自領拡大の口実としてこれを利用し、ブルクハルト・フォン・クネーリンゲン率いる傭兵隊を差し向け、
          3日間の包囲戦の後にゾンネンベルク城を制圧・破壊した。1474年、ジークムントはゾンネンベルク
          の領土を買い取ったが、戦略的重要性を失ったゾンネンベルク城が再建されることはなかった。


       <手記>
           ニュツィダースはブルーデンツの北西にある集落で、ゾンネンベルク城はその北側の半独立丘に
          築かれていました。背後の峠まで道路が通じており、そこに簡単な説明板が建っています。城内も
          ぐるっと巡れますが、廃城となってからは周辺住民の石採り場となっていたのか、建物はほとんど
          残っていません。城壁の痕跡はあちらこちらに見られますが、旧状をうかがうのは困難です。
           一番の見どころは、主塔の北壁とされるトップ画像の石壁です。また、これとは別に、城域背後の
          堀切に沿って北縁の城壁が長く残っています。残念ながら城山からの眺望は利かず、ハイキング
          の人も少なさそうな寂しい城跡となっていました。
           ゾンネンベルク城とは、直訳すれば「日ノ岡城」といった感じの雅称です。そこにはなんとなくです
          が、アッペンツェル戦争やオーストリア公との争い、さらには多くの分家を産んで内紛に陥り弱体化
          していくモーントフォルトやヴェルデンベルクの一族の不安定な立場に対する哀しい期待のような
          ものも感じ取れる気がします。1474年にハプスブルク家の手に渡って以降も、ゾンネンベルク家は
          しばらく存続したようですが、城が雅称どおりの日の目を見ることはもうありませんでした。
           ちなみに、田中芳樹さんの『銀河英雄伝説』には自殺したリップシュタット陣営の門閥貴族として
          「フォン・ゾンネベルク」さんが名前だけ登場しますが、おそらくこちらのゾンネンベルクからnを1つ
          取ったSonnebergが綴りだと思われます。

           
 ニュツィダース駅前からゾンネンベルク城跡を望む。
背後鞍部の説明板。 
 背後の堀切跡。
城域北縁の城壁を見上げる。 
 張り出し土塁状地形。
竪堀状の掘り込み地形。 
 虎口状地形。建物の出入口跡か。
段築地形。同じく建物跡か。 
 基壇石垣の痕跡か。
残存している城壁。 
 主塔北壁。
主郭の縁か。 
 北縁城壁の端っこ。
城山中腹からの眺望。 


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