ゾーネック城 (Burg Sooneck) |
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別称 : ザーネック城など | |
分類 : 山城(Hangburg) | |
築城者: コルネリミュンスター修道院 | |
交通 : トレヒティングスハウゼン駅徒歩40分 | |
地図 : (Google マップ) | |
<沿革> 南東2kmほどのところにあるライヒェンシュタイン城と同じく、アーヘンのコルネリミュンスター 修道院によって、遠隔地支配のために築かれた。築城年代には11世紀初頭から13世紀後半 まで諸説あり、はっきりしない。13世紀末には、ボーランデン=ホーエンフェルス家が城主を 務めていたとされる。 1254年にライン都市同盟との争いで包囲されたといわれるが、そのころに城があったか否か も含めて、たしかなことは分かっていない。1270年に、コルネリミュンスター修道院はアーヘン から遠く離れたゾーネック城やライヒェンシュタイン城および周辺の領地を、マインツ大司教に 売却した。 1282年、ゾーネック城は神聖ローマ皇帝ルドルフ1世に攻められて落城した。このとき城は 徹底的に破壊され、以後の再利用を禁止された。1349年、この禁は皇帝カール4世によって 解かれ、周辺一帯の封建領主ヨハン・フォン・ヴァルデックにより、ゾーネック城は再建された。 ヨハンの死後、ゾーネック城は一族による共同相続の城(Ganerbenburg)となった。 1553年、フィリップ・メルヒオール・フォン・ヴァルデックが死去すると、ヴァルデック家は無嗣 断絶となり、城と遺領は一族のブライトバッハ家に与えられた。同家も後に断絶するに及んで、 城は徐々に朽ちていったとされる。 プファルツ継承戦争さなかの1689年、廃墟となっていたゾーネック城は、周辺諸城と同じく フランス軍によってさらに破壊された。マインツ大司教は、城と城地をニーダーハイムバッハの 町に払い下げた。 1834年に、プロイセン王子フリードリヒ・ヴィルヘルム4世が弟らと共同で城を買い取った。 1843年からは、城の修復工事が始められた。フリードリヒ・ヴィルヘルム4世は城を狩猟用の 宿泊所として利用するつもりであったが、1848年の三月革命などにより工事は難航し、結局 狩猟で使われることはなかった。城は、奇しくもフリードリヒ・ヴィルヘルム4世がプロイセン 国王として薨去した1861年に完成を見た。 第一次世界大戦後の1918年、城は国有化され、現在も行政の管理下にある。 <手記> ゾーネック城は、トレヒティングスハウゼンとニーダーハイムバッハのちょうど中間あたりに あります。山の峰の中腹にあり、険しい岩の上に立っているのでよく目立ちます。市街地から は距離があり、トレヒティングスハウゼンの町を見下ろす丘の上に立つライヒェンシュタイン城 とは対照的で、コルネリミュンスター修道院はひょっとするとライヒェンシュタイン城の詰の城と して、ゾーネック城を築いたのかもしれません。 周辺の古城のなかではかなり山深いところにあるので、実際に訪れるのはたいへんだと 思われます。 |
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ゾーネック城を南から望む。 |