杉谷城(すぎたに)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 杉谷氏か
 遺構  : 曲輪、土塁、堀
 交通  : 新名神自動車道菰野ICから車で7分


       <沿革>
           元亀元年(1570)に千種越えで岐阜へ向かう織田信長を鉄砲で狙撃した杉谷善住坊の居城
          といわれるが、確証はない。『三国地誌』には萩原善住坊居守とあり、杉谷善住坊と同一人物
          ともされるが、杉谷氏および萩原氏の詳細は不明である。善住坊については、甲賀五十三家の
          1つ杉谷家の出身とする説もある。
           善住坊は信長暗殺に失敗し、近江国高島郡の阿弥陀寺に隠れていたが、天正元年(1573)
          に捕縛されて鋸挽きの刑に処された。善住坊が杉谷城主であれば、元亀元年の時点で廃城と
          なったと推測される。


       <手記>
           杉谷集落の背後、慈眼寺北側に伸びる峰が杉谷城跡です。慈眼寺の向かいから適当に直登
          すれば、城内に入れます。主郭の背後に方形の区画が並ぶ縄張りで、主郭も方形を基調として
          おり、構造的には北の田光城に類似しています。ただ、主郭から前方は耕地や崩落などにより
          地形が崩れていて、『日本城郭大系』の要図とも合わなくなっており、旧状の正確な把握は困難
          です。
           主郭背後の方形区画も土塁や堀ははっきりしていますが、やはり崩れが気になります。遺構の
          残存具合としてはまだまだ立派なものなので、これ以上崩壊しないことを願うばかりです。
           城主が杉谷善住坊であったかは定かでありませんが、杉谷城が六角氏から養子を迎えている
          田光城主梅戸氏の影響下にあったことは間違いないでしょう。信長暗殺は六角承禎が依頼した
          とされ、また千種街道が近い点からも蓋然性は高いと思われますが、これらの条件は甲賀にも
          当てはまるため確実とまではいえません。

           
 主郭のようす。
背後から堀越しに主郭を望む。 
 主郭背後の堀切。
同上。 
 主郭背後の方形区画。
方形区画の土塁。 
 同じく方形区画と土塁。
方形区画背後の堀切。 
 同上。
方形区画の横堀。 
 主郭背後の堀切と横堀の合流点。


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