岩渕館(いわぶち)
 別称  : 常松館
 分類  : 平山城
 築城者: 岩渕氏か
 遺構  : 曲輪、土塁、堀
 交通  : JR東北本線須賀川駅からバスに乗り、
      「岩渕」下車徒歩10分


       <沿革>
           岩渕氏の居館とされるが、同氏の出自など詳細は定かでない。館主は岩渕修理亮・
          同紀伊守と続いたが、紀伊守は 二階堂輝行(照行)に誅されたとされる。
           その後は、浜尾尾張守ついで常松縫殿介義盛が館主となった。義盛は、天正十七
          年(1589)の須賀川城攻防戦において、二階堂氏方として籠城した。戦後の岩渕館
          および常松氏については不明である。


       <手記>
           岩渕館は、南に江花川と釈迦堂川の湿地帯が広がる舌状の峰に築かれています。
          主郭には岩渕神社が鎮座し、峰先下から参道の階段が付いていますが、車の場合は
          付け根側にまわるとフラットに城内に入れます。
           主郭の付け根側には2段の曲輪が連なり、その背後には堀切跡と思しき段差が認め
          られます。この堀切跡は道を挟んだ南側で竪堀状となっています。その脇には虎口状
          の開口部があり、その下には腰曲輪のような平場もありますが、城館の遺構なのか
          どうかは分かりません。
           主郭の岩渕神社境内の前方にも、数段の削平地が続いています。普通に考えれば
          腰曲輪群と思われるのですが、断言まではできない感じです。
           こちらは須賀川の城跡巡りでご一緒した城仲間の1人に教わって立ち寄り、当初は
          みんなそれほど期待していなかったのですが、蓋を開けてみればかなりコンパクトかつ
          しっかりと遺構が残っていて、良い意味で裏切られました。

           
 南西から岩渕館跡を望む。
付け根側の堀切跡と思しき地形。 
 その反対側斜面の竪堀状地形。
その脇の虎口状開口部。 
 その下の腰曲輪状の平場。
主郭後方の土塁。 
 主郭背後の土塁。
主郭の岩渕神社境内。 
 境内前方下の平場。腰曲輪か。


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