天神山古城(てんじんやまこ)
 別称  : 太鼓の丸、太鼓丸城、旧天神山城
 分類  : 山城
 築城者: 日笠氏か
 遺構  : 曲輪、石塁、土塁、堀
 交通  : 天神山城から徒歩15分


       <沿革>
           国人日笠氏によって、日笠青山城の支城として築かれたとみられているが、詳しい築城の経緯は
          不明である。日笠氏は鎌倉時代に日笠荘を拠点としたと推測されるが、出自は定かでない。
           天文二十年(1551)、備前へ進出した尼子氏への対応を巡り、室山城主浦上政宗と弟の宗景が
          反目した。日笠頼房は宗景を支持し、宗景は同二十三年(1554)に天神山の支峰に新城を築いて
          独立を図った。天神山山頂部にあった古城は天神山新城に取り込まれ、太鼓の丸として存続した。
          以後、太鼓丸は天神山城の支砦として機能することになる。


       <手記>
           標高約409mの天神山山頂が太鼓丸ないし天神山古城で、戦国大名浦上宗景の居城は70mほど
          下がった峰先側となります。先端麓からも登れるようですが、天神山の南東中腹にあるキャンプ場
          「和気美しい森」から行くと、高低差もあまりなく駐車場やトイレも完備されているのでおすすめです。
          帰りが急な登りとなりますが、麓から比高370mの登山をするよりは気も楽と思われます。
           キャンプ場の奥から猪除けのフェンスを開けて山頂へ向かうのですが、その手前、キャンプ場敷地
          側にも根古屋のものとみられる土塁があるので、見逃さないようにしましょう。道中の緩やかな斜面
          には、不明瞭ながら土塁や階段状の削平地がみられ、やはり根古屋の遺構と考えられています。
          尾根上に出る手前で、やや離れて2条の堀切があり、その先に山頂があります。ただし、太鼓の丸
          と呼ばれているのはここではなく、尾根の先端部となります。現地の案内図では山頂を古城の本丸
          としていますが、造作はやはり不鮮明のため、断言はできません。
           太鼓の丸は、吉井川沿いを見下ろす岩場の峰先で、郭内への入口にははっきりとした石塁がみら
          れます。また、山頂と太鼓丸の間には露岩を利用した石門や、軍用石といわれている石塊群があり
          ます。太鼓丸にどのような建物があったのかは不明ですが、たしかにここに太鼓櫓を置けば、城内・
          城下に音が響き渡ったことでしょう。
           太鼓丸から天神山新城方面へ下りると、急な斜面にも上の石門と下の石門があり、さらにその下
          に亀の甲と呼ばれる石積みの塚が見られます。亀の甲の下には、古城と新城の間の鞍部があり、
          両者を分ける堀切となっていたものと推測されます。
           天神山古城跡は、吉井川側から見るとかなり荒々しい岩山です。その比高の高さから鑑みても、
          築城主が日笠氏であったかどうかは分かりませんが、おそらく南北朝時代の築城と推察されます。
          キャンプ場側の根古屋状の階段削平地群は、もしかしたらそれ以前からあった山岳寺院の堂宇や
          僧坊跡かもしれません。

           
 天神山古城跡を望む(中央右側)。
 左手の尾根筋が天神山新城跡。
キャンプ場敷地内の土塁。 
 斜面途中の根古屋状遺構。
同じく土塁と削平地。 
 同上。
堀切。 
 尾根筋の曲輪跡。
山頂側の堀切。 
 同堀切の落ち込み部分。
山頂付近の切岸状地形。 
 同上。
山頂のようす。 
 石門。
軍用石。 
 太鼓の丸を望む。
太鼓の丸入口の石塁。 
 太鼓の丸のようす。
上の石門。 
 石門付近から太鼓丸方面を見上げる。
下の石門。 
 亀の甲。
新城との境を成す鞍部の堀切。 


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