高木屋敷(たかぎ)
 別称  : 高木主水正清秀屋敷
 分類  : 平城
 築城者: 高木清秀
 遺構  : なし
 交通  : 小田急線・JR相模線厚木駅徒歩10分


       <沿革>
           天正十八年(1590)の徳川家康の関東入封に際して、徳川十六神将に数えられる
          高木主水正清秀は相模・武蔵・上総国内で5千石を与えられた。その後、文禄三年
          (1594)に家督を三男正次に譲り、海老名郷に隠居した。清秀の屋敷は諏訪神社の
          西、「西屋敷」や「御倉屋敷」といった小字の残るあたりにあったと推測されている。
           慶長九年(1604)と翌十年には、家康が鷹狩に際して清秀屋敷に立ち寄ったことが
          『相中留恩記略』に記されている。また同十五年(1610)に清秀が死去した後、元和
          六年(1620)に正次が諏訪神社の社殿を建造したことが棟札に残っている。ただし、
          この社殿が清秀屋敷内につくられたのか、屋敷に隣接していたのかについては不明
          である。
           正次は、元和九年(1623)に河内丹南1万石の大名となった。このころまでは、清秀
          の屋敷が何らかの形で使用されていたと思われるが、確証はない。諏訪神社の宮鐘
          には、元禄十五年(1702)に領主秋元小左衛門成朝が寄進したと刻銘されている。
          したがってこのときまでには廃されていたものと推測されるが、詳細は不明である。


       <手記>
           高木屋敷は諏訪神社の西側にあったと推測されていますが、確定はしていません。
          諏訪神社と大通りを挟んだ東側には、中世の領主大島氏の屋敷がありました。
           神社は立派ですが、屋敷については何の手がかりもありません。比定地周辺は、
          すっかり宅地化されています。

           
 高木屋敷の東隣といわれる諏訪神社。
比定地周辺現況。 


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