富田城(とみだ)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: 塩沢氏か
 遺構  : 曲輪跡
 交通  : JR飯田線飯田駅から車で20分


       <沿革>
           文亀・永正年間(1501~21)に、知久氏家臣・塩沢氏によって築かれたとされる。天文二十三年
          (1554)に武田晴信(信玄)が神之峰城を攻略して知久氏が一時滅ぶと、塩沢氏は武田氏に臣従
          したとされる。
           天正十年(1582)に武田氏が滅び、同年の天正壬午の乱で徳川家康が進出すると、塩沢氏は
          徳川氏に従った。同十八年(1590)に徳川家が関東へ移封となると、塩沢氏は帰農したとされる。
          したがって、富田城はこのときに廃城となったと推測されるが、確証はない。


       <手記>
           富田は天竜川支流の富田沢川が形成する擂鉢状の盆地地形の地域で、富田城はその西端の
          喉口部を押さえる峰上にあります。城山公園として整備されていて、広い駐車場もあるので訪城は
          容易です。
           他方で、公園化により遺構はやや不明瞭になっている感があります。主郭には説明板や小社が
          建ち、北の尾根筋に2段ほどの腰曲輪跡が見受けられますが、全体像ははっきりしません。また、
          南西尾根も平らに均されて遊具が設置されているものの、曲輪跡かは不明です。このほか、主郭
          東下に帯曲輪状の、北西尾根にも腰曲輪状の平場が見られます。
           城山公園の一番の魅力は、その眺望でしょう。西には伊那平越しに木曽山脈の山々が、東には
          富田の集落が見渡せます。とくに富田の盆地は、当時はおそらく比較的生産性の高い地域だった
          のだろうと思わせる景観でした。

           
 富田城跡主郭跡。
主郭の説明板。 
 主郭から富田地区を見渡す。
主郭東下を見下ろす。帯曲輪跡か。 
 主郭北側の花壇。
主郭から木曽山脈方面の眺望。 
 主郭北尾根のようす。
北尾根の腰曲輪跡か。 
 腰曲輪跡から主郭を見上げる。
もう一つ下段の平場。 
 主郭南西尾根の平場。
 遺構かは不明です。
同じく北西尾根の平場。 


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