高井城(たかい) | |
別称 : なし | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 相馬氏ないし高井氏か | |
遺構 : 曲輪、堀、土塁、虎口、櫓台、井戸跡 | |
交通 : 関東鉄道常総線新ゆめみ野駅徒歩15分 | |
<沿革> 守谷城主下総相馬氏によって築かれたと考えられているが、詳しい築城年代 は定かでない。戦国時代には相馬氏庶流とみられる高井氏があり、同氏の居城 であった可能性が高いが、確証はない。 高井氏の初見である高井下総守直将は、『東葛飾郡誌』によれば相馬氏宗家 相馬胤晴の子とされている。しかし、直将の子とされる治胤は胤晴の娘を娶って いるため、あり得ない話ではないがにわかには信じがたい。 天文十五年(1546)の河越夜戦で胤晴が討ち死にすると、幼少の嫡男整胤が 下総相馬氏を継いだ。整胤と治胤は同年代であったが、双方成人すると家中の 主導権を巡って対立するようになった。 永禄九年(1566)、治胤は整胤を暗殺し(異説有)、下剋上によって相馬氏を 継承した。治胤の弟胤永が高井氏を称しているため、高井城主を継いだものと 推測されるが、詳細は定かでない。 天正十八年(1590)の小田原の役に際し、治胤・胤永兄弟は北条氏に与して 小田原城に籠城した。高井城で戦闘があったかは不明である。治胤の子秀胤 は徳川家康に内応していたため、戦後治胤の所領が秀胤に与えられた。高井 城がいつまで存続していたのかも詳らかでない。 <手記> 高井城は、小貝川に臨むほぼ長方形の台地を利用した城です。主郭一帯が 高井城址公園として整備されているのですが、入り口が少々分かりづらいので 注意が必要です。妙見八幡宮のひとつ南の十字路を西に歩くと到着できます。 崖端の主郭とその周囲に堀や曲輪を配したオーソドックスな縄張りで、準戦国 大名クラスの分家の城ないし支城としては、規模の大きな方だろうと思います。 公園内は、進入できないところも多いのですが、主郭の堀と空堀など見どころは 十分です。 |
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主郭のようす。 | |
主郭の堀と土塁。 | |
主郭の虎口。 | |
主郭南東隅の櫓台状土塁。 | |
主郭下の腰曲輪。 | |
主郭下の張り出し状土塁。 | |
井戸跡。 | |
井戸跡脇の空堀。 | |
外郭部の櫓台状土塁。 |