高木内城(たかきうち)
 別称  : 内城、高木館
 分類  : 平山城
 築城者: 近藤氏か
 遺構  : 堀、土塁、削平地
 交通  : JR飯田線田畑駅徒歩10分


       <沿革>
           高木内城の城主については大きく2つの伝承がある。1つは近藤氏が居城とした後、
          児島氏が居住したとするものであるが、両氏について詳細は不明である。
           もう1つは、高木氏の居城とするものである。『南箕輪の史跡』によれば、高木氏は
          小笠原氏の家臣であったが、後に箕輪氏(箕輪城主藤沢氏か)に従ったとされる。
          天正十年(1582)七月には保科氏に属して、上伊那十二騎の1人に数えられたが、
          同十八年(1590)に帰農したとされる。


       <手記>
           高木内城は、天竜川と半沢川に挟まれた舌状台地の先端に築かれています。台地
          の付け根を横断する峠道から南の住宅地へ入ったところに、城址標柱が建てられて
          います。その脇には階段がついていて、登ってしばらく行くと、台地東縁の平坦地に
          でます。周囲は民家なので、それ以上は歩けませんが、おそらく主郭の削平地面と
          思われます。
           いったん標柱に戻って反対側に目をやると、民家と道路の間に踏み分け道があり
          ます。とても分かりにくいうえに民家の敷地内にあるように見えるのですが、偶然その
          お宅の方がいらっしゃったので伺ったところ、別に行ってもいいが墓地があるだけとの
          ことでした。
           いつもどおり「何もないよ」の声を押し切って歩いてみると、やはりビンゴでした!!
          右手に半沢川の流れる斜面の道を進むと、まず関にように谷側に張り出した土塁が
          現れます。さらに行くと件の墓地があり、その先端は堀切になっています。おそらく、
          墓地も腰曲輪の跡でしょう。堀切の先は細尾根になっていて、小さな祠が祀られた
          ピークの先に、堀跡のような鞍部がもう1条見られます。その先はほとんど自然地形
          のまま、半沢川の屈曲部に落ち込んでいるようです。
           このように先端方面に細かい造作はみられるものの、基本的には主郭とその周囲
          に付属する曲輪からなる館城であったと考えられます。

           
 内城跡の標柱。
標柱脇の階段を上った先の平坦面。 
主郭跡か。 
 標柱の反対側に延びる踏み分け道を
 進んだ先にある関状の土塁。
さらに進んだ先の墓地。 
腰曲輪跡か。 
 墓地先の堀切。
その先の小ピークにある小祠。 
 その先の堀切状鞍部。


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