高杉山城(たかすぎやま)
 別称  : 高杉城
 分類  : 平山城
 築城者: 高杉春時か
 遺構  : 曲輪跡、土塁
 交通  : JR可部線可部駅からバスに乗り、
      「安芸高田市役所前」下車徒歩50分


       <沿革>
           永正十四年(1517)の有田中井手の戦いで毛利元就に敗れて討ち死にした安芸国分郡守護・
          武田元繁の子ないし一族とされる武田小四郎春時は、後にその元就に仕えて高杉に改姓した。
          高杉山城は春時にはじまる高杉氏の居城とされるが、確証はない。高杉氏の出自については、
          備後国の高杉城ともいわれる。
           この高杉氏の後裔が、幕末に奇兵隊を率いた高杉晋作(諱は春風)とされる。


       <手記>
           元就の居城である吉田郡山城から西へ約4kmの西浦にある小丘が高杉山城跡です。高過ぎ
          どころか山とも言えず、要害性はさして感じられない立地です。
           城山の南半分は民家の敷地で、私は北側から田んぼの畔を伝って西浦上集会所裏へ廻り、
          城内に取りつきました。民家敷地側へは、ネットが張られていて入れません。丘は数段の段築
          となっていて、広さや配置的に曲輪群の跡とみて差し支えないのですが、断言まではできそうに
          ありませんでした。
           先端側からネットの向こうには、「高杉家先祖之墓」と彫られた石碑が見えます。高杉家の紋
          は出自に従って丸に武田菱なのだそうですが、墓碑脇の石柱には丸に四つ目結が刻印されて
          いました。
           ここが本当に高杉氏の居城であったかどうか判別する術は持っていませんが、こんなに居城の
          近くに外様の、それも自分で滅ぼした相手の形見を配置することがあるのだろうかという点は、
          どことなく喉に引っかかっています。

 北東から高杉山城跡を望む。
同じく北側から。 
 城内の段築地形。曲輪群跡か。
城内の切岸状地形。 
 先端部のようす。
「高杉家先祖之墓」碑。 
 城山からの眺望。


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